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R_B < Part 4 (6/7) >


 最後の夜間訓練が終わり、鳶は官舎に戻った。
 夜明けまでは未だ時間がある。彼は静かにドアを開けた……リビングに灯りが点いている。


「お疲れ様です、浅葱」

「あ、補佐官。お疲れ様です」

「ご苦労だったな、鳶」

「……常磐?!お休みではなかったんですか」


 てっきり寝ていると思っていた人物の声まで聞こえて、鳶の目が丸くなった。


「傷に障ります、こんな時間まで」

「コイツと話したい事もあるからな。そう心配するな、ちゃんと仮眠は取ってる」

「……そうですか?」


 言葉の後半には全く信憑性が感じられない。しかし自分の帰りを待っていてくれたのだ、とやかく言うのは止めておく。


「まあ座れ、鳶。浅葱もだ」

「はい」

「失礼します」


 促されて、鳶は向かいに腰を下ろした。身体に溜まった疲労を追い出すように深く息をつく。


「ビャクにしごかれただろ」

「みっちりやられましたよ」


 浅葱が持って来てくれたコーヒーに、早速口を付ける。


「やり辛ぇ事は無かったか?」

「特に無かったですが、戸惑う部分はありました。特に前半は。でも皆が着実に貴方の教えと感覚を身に付けていっているのが解るにつれて楽しくなりました。やはりマンツーマンの5日間が効いてますね」

「気になったヤツは?」

「木欄です。彼の成長には目を瞠りました。仰っていた通りです」

「何よりだ。他は?」

「黄檗が面白そうだという印象がありました。トレースが巧いなと」

「成る程。ただ、アイツの場合……」


 2人が1対1の議論に入り、一気に場の緊張が高まる。こうした光景は浅葱もブリーフィングルームなどで何度か目にした事はあったが。


(……桁違いだ)


 静かだが、重い圧力。鳶の隣に座っているだけでも気合いが要る。今まで感じた事の無い……いや、自分が感じ取れていなかっただけかもしれない。


[2期のヤツらが来るぞ]


 ……浅葱にそれが知らされたのは2日前。補佐代行の挨拶へ行けば、その返事がこれだった。

 頭から冷水をかけられた気がした。補佐代行を命じられて浮かれていた浅葱の気持ちは、初っぱなから見事に叩き潰された。


[3期までのメンバーは確定したそうだ。今日中にリストが来る筈だから、受け取ったら全員のデータを頭に叩き込んでくれ。時間があれば各人の特性も分析するように]

[……はい!]


 凹んでいる暇など無かった。未だ身体の自由が利かない仁に付き添い、連絡の取り次ぎや書類整理など何でも手伝った。一方で少しでも時間が空けば、その全てを後続メンバーのデータ収集と分析に費やした。

 それでも……いや、そんな2日間を過ごしたからだろうか。


(補佐官……何て人だ)


 自分はこれまで鳶の本質を全く見ていなかったと、嫌でも気付かされる。
 先程までの疲れた様子は完全に鳴りを潜め、上司とも完全に対等な立場で遣り取りをする、その眼差しの鋭さに身震いした。質問には即座に答えを返し、SSメンバーは2期3期どころか、候補者を含めた6期までを把握しているではないか。
 持っている情報量の多さ、そして伝達能力の高さ、的確さ……これで未だ正式な幹部ではないと言うほうが不思議だった。


「どうした?浅葱」

「あ……いえ!申し訳ありません」


 いきなり声を掛けられ、浅葱は狼狽える。その慌てぶりに仁は首を傾げる。が、鳶は静かに笑って彼に告げた。


「そんなに緊張しなくても。これが指導官の“やり方”です。現場指導の時と同じですよ」

「……はい!」


 圧倒されている暇があるなら食らい付いて来いと叱咤されたと気付き、浅葱は急いで居住まいを正す。その様子を見て仁は一つ頷き、話を続けた。


「そうしたら、1期のグループ分けは浅葱と木欄で原案を作ってもらうか。2期以降の参考にもなるだろう」

「そうですね。最終チェックは?」

「お前が。それで十分良いのが出来る」

「分かりました。宜しくお願いします、浅葱」


 鳶から握手を求められる。が、今となっては浅葱は恐縮するばかりだ。


「あ……いえ、自分などでは力不足で。お手間をおかけすると思いますが……」

「そんな事はありません」


 つい及び腰になる彼を、鳶はやんわりと制した。


「SSの真の先駆者は、1期の10人。私や常磐ではありません」

「え……?」


 二の句が継げない。言葉の真意が読み取れない。
 だが彼の困惑には気付かぬふりで、鳶は話を締めた。


「その先頭に立つのが貴方です。お互い頑張りましょう」


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「アンタにしちゃ珍しかったな」


 浅葱を帰らせると、仁は鳶に向き直った。少しだけ困ったように笑っている。


「そうでしょうか?」

「あんなのはビャクあたりが言いそうな事だ」

「かもしれませんね」

「なぜ、言った?」


 問い詰める口調ではない。


「彼が本来進むべき道を示しただけです。お気づきでしょう?」

「まあな。だが今ここでやるかと驚いたのも確かだ」

「彼は次期部隊長ですよ。もう、自分と張り合っている場合ではありません」


 仁が僅かに目を見開いた。


「張り合う?目標の間違いじゃねぇのか」

「どうでしょう。いずれにしても筋違いです」

「いつから?」

「彼に荒療治をした後ですね」


 乱気流に突っ込んだ件だ。


「……アレか」

「あれ以来、彼は貴方に心酔してますから」

「なら、せめて俺と張り合ってもらいてぇトコだな」


 聞いた鳶は目を丸くする。


「常盤……それ、本気で仰っていますか?」


 当たり前だと仁が返せば、彼は小さく溜め息を一つ。


「残念ながら、貴方は彼等にとって“伝説の人物”です。それは今までもこれからも変わりません。貴方と同じステージに立つなんて言う発想は、彼等にはこれっぽっちも無いんですよ?」

「……マジか」

「それどころか、貴方に存在を認めてもらえるだけでも最高の栄誉なのかもしれません。白群と肩を並べる事とは次元が違うんです。浅葱も昨日までだったら、部隊長か貴方の補佐のどちらかを選べと言われたら後者を取っていたでしょう」

「ソイツぁ困るな」

「ですよね」


 決して、2人の中で浅葱の評価が低い訳ではない。
 ただ、違うだけだ……あらゆる点で。


「あれ程の技術と部隊長になれるポテンシャルを持っている人物です。才能は然るべき場で発揮してもらわないと」

「そうだな、俺も今回、アイツの適性を再確認出来て良かった。俺のアシストでも特に問題点は無かった。あのレベルなら地上での要人警護も十分対応出来る。基本的に頭の回転も早いし……ただ」


 そこで仁は一つ大きく溜め息をついた。


「決してアイツを疑ってるワケじゃねぇんだが。俺はやっぱりアイツに対して、常に警戒心みたいなのが働いちまう」

「それは仕方無いでしょうね。檜皮や白群に対しても、無いとは言えませんし」


 “過去”の辻褄合わせは、些細なひと言から破綻する危険性を常に孕んでいる。他愛ない雑談をするような時でも気は抜けない……その緊張感から仁が解放される時間は無いに等しい。
 敢えて挙げるとすれば、ここで1人で過ごす僅かな時間ぐらいだ。


「……常磐」

「何だ」

「眠れてませんよね?」


 鳶の戻り待ちを口実にして、眠りにつかなかった事は確定。
 やはり浅葱の前では、無防備な状態になれなかったのだろう。


「病院でさんざ眠ったんだ、ちったぁ良いじゃねぇか」


 悪びれもせずに笑う仁に、鳶は大きな溜め息を返してやった。


「……ともあれ、お疲れ様でした。そろそろ休まれたほうが良いかと」

「アンタは?」

「報告書を先に仕上げます。今日明日はオフですから、後ほどゆっくりさせて頂きます」

「そうか。ご苦労だったな」


 言うなり仁はソファに倒れ込み、深く息を吐いて目を閉じる……間もなく規則的な寝息が鳶の耳に届いてきた。


「お疲れ様でした」


 隣室から持ってきたブランケットを彼に掛けると、鳶は静かにもう一度、労いの言葉を呟いた。


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 ……仁がSSに関わるようになってから1年近くが過ぎたある日。
 6期メンバーとの顔合わせを済ませると、彼はすぐさま檜皮のところへ向かった。

 ドアをノックすれば直ぐに入室を許可する声。


「今日は1人か。青褐はどうした」

「ビャクと浅葱と一緒に、ミーティングの続きをしてる。今回から黄檗が新規メンバーのオリエンテーションを担当する事になったんでな」


 答えながら、仁は椅子に腰を下ろした。


「漸く浅葱もそれらしくなったか」

「ああ、部隊長の自覚も出来た。もう問題無ぇだろう」

「それは何より。これで白群の負担も減りそうだな、頼もしい限りだ。2期の若草もスジが良いと聞いている」

「アイツは空間把握能力がずば抜けてるし、間違い無く実戦に強い。2期は全体的に実戦タイプが多いな。今のところ模擬戦闘訓練でビャクから10ポイント以上を奪ったのは若草だけだが、他のヤツらも最低でも6は出してる」

「成る程」


 檜皮が手ずから淹れたコーヒーを受け取る。


「すまねぇな」

「インスタントだがな。O国産だ」

「なら、上物じゃねぇか。行って来たのか?」

「いや、外交官の知り合いから回ってきた。役得さ」


 一大産地を持つというO国のコーヒーは、元から評判が高い。ゆっくり味わう間に、檜皮も自分のカップを持って仁の向かいに座った。


「で、今日は何の用件だ。急ぎでもなさそうだが?」


 一息置いてから、檜皮が話を振る。


「確かに、もうちょい先の話だが……」


 仁は一瞬目を伏せ、ややあって意を決した面持ちで口を開いた。


「SSが正式に発足する前に、抜けさせてもらう事は出来るか?」


 カップをテーブルに戻そうとしていた檜皮の手が止まる。


「抜ける?」

「ああ」

「穏やかじゃないな。まさか除隊させろとか言い出すなよ」

「そのまさかだ」

「……」


 ひとつ溜め息をつくと、彼はカップを置いてじっくり話を聞く体勢を取った。


「何かあったのか?」

「何も。これは引き受けた当初から考えてた事だ」

「……そうか。俺はまたてっきり、あらぬ噂を流している奴でもいるのかと」

「ビャクの統率力と鳶のマネジメントが効いてる。アイツらがいれば問題無ぇ」

「……」

「恩知らずなヤツと思われて当然だが……」

「まあ待て、蘇芳」


 久しぶりに本名で呼ばれ、仁はぴたりと押し黙った。


「俺はお前の経歴と状況を利用してSSに引き込んだ。断れないだろうと知りながら、だ」

「檜皮……」

「その辺りはお互い様さ。だから妙な気兼ねなんかするな」

「……」

「記憶は、戻ったのか?」


 その問い掛けに、仁の顔が微かに強張る。


「……いや」


 知らず、膝上で握りしめた拳に力が籠もった……本当に記憶を失ってここに居るのだったら、逆にどれ程楽だっただろう。


「残念ながら、全く。こればかりは焦ってもどうにもならねぇな」


 語尾が震える。笑おうとしたが無理だった。


「そうか……すまない、酷な事を聞いた」

「構わねぇ」


 本当の事は言えない……未だにフラッシュバックを起こす事も。

 前後不覚に陥った自分は制御出来ない。今は鳶がストッパーになってくれているが、SSが本格的に動き始める頃には彼も幹部となる筈だ。そうなれば自分の補佐をしている場合ではなくなる。

 SSは前を向いて走っている。そのスピードは増すばかりだ。
 だが自分は、皆との再会を果たすまでは“あの時”を思い出にする訳にいかない……幾度となく過去の悪夢にうなされようとも。


「……記憶が“抜けてる”せいかどうかは解らねぇが、俺は大戦時代の感覚が抜け切らねぇ。対してSSには、どんどん新しい世代が入ってきてる。
 7期からは、完全に当時の軍を知らねぇヤツばかりになる」

「ギャップが大きくなっている、か」

「ざっくり言やぁ、そうだな。
 アイツらは未来を託されてんだ、ひたすら前を向いて進んで行かねぇと。だがそこに俺の入る余地は無ぇ。居れば却って害になる」


 “常磐”は仮の存在。
 いずれ消えるべきもの。


「害……か」

「ここでの居場所と使命を与えてくれた事には心から感謝してる。だがいずれ“その時”が来る。準備は進めておかねぇと」


 檜皮が黙った。暫し思いを巡らせる。


「……お前の意向は受け取った」


 ややあって、顔を上げた。


「この件はひとまず俺に預けさせてくれ。除隊云々については、SSが正式にスタートする前に、必ず話し合いの機会を設ける」

「すまねぇな」

「謝るような事じゃない」


 深々と頭を垂れる仁を押し止め、彼は話を続ける。


「それより折角の機会だ。一つ、俺からも相談させてもらいたい」

「……え?」


 予想していなかった一言。仁が怪訝な顔をする。それと対照的に檜皮の顔には笑みが浮かんだ。


「お前が以前に言っていた機体の件だ。そろそろ試作の目処が立ちそうでな」

「本当か?」


 仁の瞳が輝く。


「そこでだが。兼任という形にはなるが、そちらのプロジェクトに関わってみないか?」

「……そいつぁ凄ぇ」

「では決まりだ」


 ぽん、と膝を打って檜皮が立ち上がった。


「間もなく設計図が上がってくると聞いている。当然、改良点がボロボロ出て来る筈だからな。今の内から当事者の意見や要望を入れていったほうが効率が良いだろう。来月から入れるよう交渉しておく」

「ビャクには何と?」

「そのまま言えば良い、彼も知ってる事だし……そうだな、お前のSSへの顔出しは今後抑えていくようにしよう。7期からは白群と浅葱に訓練の統率を100%任せる事にする。お前には二人のアドバイザーとして、陰でSSをサポートしてもらうようにスライドしていくか。どうだ?」

「鳶は」

「お前が二佐である事には変わり無い。扱いは現行のまま。今まで通り使ってやれ。どう動くかは本人に任せるが……」


 そこまで言って、檜皮が思い出し笑いをする。


「まあ、少なくともお前のスケジュール管理は今後も彼に全権委託しておこう。その方が皆も安心する」

「何だそりゃ。俺の行動はそんなに信用ならねぇってか」

「そうとも言えるかもしれないが、寧ろ逆だ。兎に角お前は自分の都合を後回しにして自爆する事が多すぎる。身に覚えがないとは言わせないぞ?」


>>>Part 4 (6.5/7)


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