各国の法人税制は一定の型に収束しているか?または、人為的に調和化できるか?

 本文章は、増井良啓「法人税制の国際的調和に関する覚書」税研160号(以下、「本記事」)の記載基に、感想等を記載しています。

 まず、現在デジタル経済に対する課税の第2の柱でも論じられている「法人税の過度の切り下げ競争」は、1998年のOECDでも論じられていたらしい。本記事においても「租税競争が進むことで政府の税収調達力が失われれば、国民が望むレベルの公共財を提供し、国家として再分配政策を実施できなくなる」から、「いきすぎた税金の引き下げ競争に歯止めをかけること」が望ましいとある。他方で、本記事が書かれた2011年当時においては、このような租税競争に対して、「名目的な課税や実質的活動の欠如を問題とするという側面がすっぽり抜け落ち、情報交換の充実と透明性の確保に焦点があた」っていたようです。最近、税に興味を持ち出した私としては、こういう、従前の状況全く知らなかった。現在の第2の柱で、残されたBEPSの課題として、税競争に対処しようとしているのは、2000年代の一連の動きによって、透明性確保の観点から、移転価格文書や情報交換協定など様々な動きにより、透明性の確保ができたからという事でしょうか。

 それはさておき、本題の、各国の税制は一定の制度に収束(「各国が特段の協調行動をとることなく、結果的に一定の姿に収斂していく」ことをいう)するか、という問題について、本記事は以下の3つの領域については、収束しているとしている論文(Reuven Avi-Yonah, Tax Convergence and globalization, University of Michigan Law School Public Law and Legal Theory Working Paper Series, Working Paper NO.214 July 2010)を紹介している。そこでは、①タックス・ミックス(資本から消費へ)、②法人=株主の統合(株主段階の受取配当非課税方式へ)、③国外所得の取り扱い(受動的所得の居住地国における全世界所得課税、および能動的所得のテリトリアル方式による課税ベースの分割)の3つの領域について、1980年から2010年の30年間において地球規模の収束があったとされているということ。

 ①については、日本も各国もVATが導入され、その比重が高まることにより(日本でも2020年8月に開催された税調において消費税増税が言及されてニュース記事になっていたように)、資本から所得への課税から、消費の課税を基軸とする方式に移行が生じた。そして、これはグローバル化が進展することで可動制の高い資本に対する課税が困難になっていることが背景だと分析されている。

 ②については、欧州では、域内統合のためインピュテーション方式から受取配当非課税方式に、米国も受取配当非課税方式に、日本はもともと受取配当非課税方式、という形で、受取配当非課税方式に収束している。これは、グルーバル化によるポートフォリオ投資の増加を背景としていることが分析されている。

 ③については、全世界所得課税を採用する国は、外国子会社益金不算入制度により、能動的所得を非課税にした。他方で、テリトリアル課税を採用する国も、個人居住者に対して全世界所得課税を行ったり、CFC税制等により受動的所得を居住地国において課税するように移行していった。

 このように、一部では税制の収束が見られる中で、本記事はEUにおけるCCCBT(Common Consolidated Corporate Tax Base)を、法人税制の調和の例としてあげている。そして、このCCCBTは、域内統合の障壁除去という政治的、経済的目的で行われている点、CCCBTは、各国の法人税制と共存するものである点に留意すべきであるとされている。要は、日本が法人税の調和を目指す際には、このよう留意点を意識し、誰と調和するか、という調和の相手や、税制に関する対話を深化すべきとする。

 こうして見てみると、タイトルに対する回答としては、一定の分野では収束している。政治的、経済的目的により、税制意外の面も含めた形で人為的に調和することは可能、という形になるんでしょうかね。

 それにしても、現在議論されているデジタル課税における第2の柱を、税制の収束や調和の観点から見てみると興味深いですね。本記事によればReuven Avi-Yonahのペーパーでも、法人税率の収束については留保があるようで、第2の柱について最低税率が決められるようになれば、少なくとも法人税率の下限は収束(というより、これは人為的調和か)するようになるとも思われるんですよね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?