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さぁて、私はコンテンツを消費しちゃう俗物なので。

 こういう感じの話にも食いついちゃう訳です。

流れてくる情報が大量になる
⇨消費者が効率的に要約するようになる
⇨どうせ要約されるならそれを前提とした作品作り

 という流れなら、そりゃコンテンツ化もやむなしな訳ですよ。誰も悪くない。
 誰も見てくれない作品に力を入れたいなんて思いませんし。エンタメも根底はビジネスですから、売れなきゃ仕方ありません。

 それは自然な変化です。ただ一般的に求められるモノの形が変わっただけ。
 芸術的に手の込んだモノが求められなくなっていくのは悲しい事ですが、それを看過出来ない人達が行動を起こしていくのです。

 …というのが、まぁ一般的な意見ですよ。当たり障りのない意見。誰も傷付けない丸い提言。

で。

ここで、愚かな仮想人間23号の登場です。

 以下、あくまで一仮想人間の過激な論調です。
 これは自分であるとも言いませんし、自分では無いと断言するつもりもありません。例えこれが今の自分だとしても、人間の自我は連続的に変化するものですから、少なくとも貴方がこれを草創の意見だと認識する頃には、私は既に違う人間です。
 ただ、私は「こういう人間はいるかも知れない、居たかも知れない」という事をファンタジーとして提言する。そういう事です。
 けれども、愚かでない人間がいないのならば、こちらの方がリアルじゃありません?

言葉で説明しないと心が分からない?

 だって事実そうじゃん。

 隠喩とか情景から読み取った情報が、事実とは全く違うなんて認識の裏切りを、俺たちは何回も受けてきたんだよ。
 Twitterは嘘まみれ、ニュースメディアは脚色まみれ。

 で?そういう風に教育された俺たちに、「隠喩を楽しめ」ってか?
「考察、言外の表現を楽しめ」ってか?

 楽しむ以前に裏切られてきたんだよ。そんな表現を今更信じろって方が、おかしいよなぁ?
 そういう、個人の認識の違い、「今対面して下さってる貴方様国家の事実の解釈運用基準」の違いにさぁ、どれだけクソみたいな思いさせられたのか知らねぇからさ、んな事言えんだよ。

 もう嫌になるぜ?
 で、ファンタジーだとしても、楽しむ為の物だとしても、そういう解釈の違いみたいな物が生まれないようにしたくなるんだよ。
 そういうフワフワしたの見ると虫唾が走る。

 もう二度と相手方に裏切られないように契約書にガッチリと、細部まで書き込むのと同じよ。もう信じられんわ。

(解釈の多様性という事実が生むだけのもの。仮想人間さんのネガティヴが多分に篭っています。)

 最早あまりにも馬鹿げた幼いファンタジーなんだよなぁ。言外の何かを読み取って、自分の認識に従ってそれを信じて受け入れるとかさぁ。
 メディア様方の嘘と脚色とPhotoshopに塗れたケイモウのお陰で、俺達は俺達自身の認識が信じられなくなったんでね。

 人間がそんな綺麗じゃない事、都合の良いものでもない事、耳障りの良い行動ばかりする生物ではない事を、俺たちは既に嫌というほど知ってんだよなぁ。

「読み解く必要がない?」

 ちげぇんだよ。

「読み解いた所で、それはそこから広がる無限のストーリーの内の一つでしかない」
 んだよ。

 例えそれがどれだけ練られたストーリーだろうが、最早そんな物に意味は無い、俺達はそれ以上の、本物の、或いはそれに匹敵する程の、痛みだとか苦しみだとかエッセイだとか、生々しさが細かにまで張り巡らされた現実。そういうの知ってんだよ。
 人間はネガティヴ情報に弱いからな。

 だからそんな読み解きは、例えどれだけ立派な物だったとしても無為だと知ったんだ。


 そんな中にエンタメねぇ…。
 サンタさん信じてる子供かよ。サンタさんなんて居ねぇんだよ、そんな都合の良い現実なんて存在しねぇんだよ。

 そういうリアルな物を、数多の情報に晒されて食ってきてんだよ。
 事実は小説よりも奇なりってのを、なんだかんだで知ってんだよ。

 んで、愚かで狭い自分の認識が自分だけのものだって、他人とは違う物だって、自分だけの知識や感覚の満ち欠けがもたらす自分だけの幻想だって、そう知ってんだよ。

 そんな雑色家で舌の肥えた、情報フォアグラたんまり抱えてる俺たちに、整っただけ美味しいだけのテンプレ飯出されても…

 もう食い飽きたんだよな。スキップスキップ。そんなモンにかける時間なんてねぇんだよ。こちとらフォアグラ作る作業に戻らなきゃならねぇんだよ。

「緻密に張り巡らされた、作り込まれた、意図が込められた物を楽しめ?」

 あー、ハイハイ、楽しんでますよ。リアルでね。
 食傷気味になるほど陰謀と嘘を口の中に放り込まれて、ゲロが出るほどのフォアグラを作らされてんだよ。

 もうそこに込められた意図とか、由来なんてどうでも良いんだよ、「緻密」ってだけで吐き気がするんだよ、それが美しい由来だろうが醜い由来だろうがどうだって良い。

 もう食いたくねぇんだよ。濃密すぎて吐き気がするわ。

 ハイ、仮想人間さんでした。
 仮想人間さんはネガティヴな情報の数々を全てではないにしても事実だと認識して(それでも彼を絶望たらしめるには十分な量)、それを自分のものだと錯覚し、同情という倫理観で痛みまで共有し、数多のネガティヴな情報の濁流に蝕まれた情報社会の被害者でした。
 ついでに彼のPhotoshop挫折の過去が固有名詞を出させているのでしょう。
 これが科学的事実であるはずがありません。だって私の作り出したファンタジーです。
 ……その筈ですよ。私はテレパシーは持ち合わせていませんから。
 一応申し上げておきますと、私には「力と熱意を込めて細部まで彫り込まれた作品を作る方々」を貶す意図も、「それを観る人の鑑賞態度」を咎める意図も有りません。作る人が素晴らしい物を作るのは素晴らしい事です。いやそうでなくてもすごい事なのですよ、作品が出来るって。
 見る人はそれを好きに鑑賞、或いは消費すれば良いのです。分かる人だけが分かれば良いのであって、分からない人を責められる筈がない。そこに言及する刃も権利も誰も持ち合わせない筈です。

23号さん…こんな世界、悲しぃよぉ。

 そう言うのであれば、まぁ手は無くは無いのでしょうが。
 つまり、「自分を情報の濁流から切り離す」という事。

 勇気を持って捨てるという事、無価値な情報を無価値と認め、自分に必要のない物を見極めるという事。
 自分の時間だけを無為に食う、趣味にも道具にもならない何者かを切り捨てるという事。

 ただ、まぁ、もうすぐ切り捨てる流行が来ると思いますよ。
 そろそろ皆さん、表面だけの要約された、デジタル的なコンテンツに飽きる頃でしょうから。そうすれば浅いコンテンツは誰も食べなくなるでしょう。
 そして、本物の洗練された情報が、「本当に必要とする人の元にだけ」届くようになる。それを本当に楽しめる人、或いは必要とする人だけが、売れる物になる。

 かつてのような大ヒットは、多分無いでしょうね。その代わり中身のある中小ヒットがよく生まれるようになる。

 嫌でも人の舌は肥える物です。そうして大人になるし立派になる。
 幸せを感じるのは差異故です。そして要約された文字だけの浅い情報には大した差異がありません。それらはただのテキストですから。

 それらを加味するなら、流れから自分を切り離して狭く深くだけを見る、というのが一番自然な成長だと思うんですけどね。成長しろとは言ってませんよ?望むならこういう方向性はどうですか?という事です。

さて。どうでしょうか?私は間違っているでしょうか?

 因みに私自身は、ぶっちゃけ間違っている気しかしません。私自身の認識が世間全体と合致する、或いは読んでくださる方々の個人的な認識に合致する、だなんて幻想的な自信を、私は持てませんよ。

 それに私は未来予知が下手くそ、というか記憶が苦手ですし。
 私はタイムマシンで過去に来た2096年の未来人なのですが、過去の事なんて覚えてないですし、多分私が勉強した過去と違う過去ですよ、コレ。

 それでも別に良いんですよ。多分。
 私は愚かな感情を抱える一個人であり、どれだけ学ぼうが努力しようが、その枠を超えた人外になる事はあり得ないのですから。

 ただ、ちょっと石を投げてみたいなと思っただけです。
 燃えるかなぁ…そこまで見てくれることを望むのは傲慢かなぁ…。
 いろんな意見が見れそうで、楽しみでもあり怖くもあり。何も無いなら無いで、穏やかに日々を過ごしましょう。

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