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24歳の夏休み

 コロナ陽性になった。職場内でクラスターが発生し、防護服に身を包む日々の途中だった。私は出勤停止となり、10日間の自宅療養となった。

 朦朧とした意識の中、浮かび上がってくる2本の線を見て、現場で働く同僚への申し訳なさだったり、逃げ切れなかったという悔しさだったりと様々な感情が渦巻いた。と同時に私は確かに、安堵にも近い感情を覚えてしまったのだった。受け止めきれない現実、逃れられない日々への終止符。ああやっと休んでいいのか、なんて思ってしまった。

 自分が罹患するのも、時間の問題だと分かっていた。隔離された病室で、ただひたすらに夜が明けるのを待った。それは何か得体の知れない怪物にずっと追いかけられているような恐怖だ。

 「ごめん、貴方に移しちゃうかもしれないからさ。」会いたかった人へ約束の断りをいれた。いっそ早く陽性になって免疫がつけばいいよな、なんて一瞬でも思ってしまった、その矢先。そんな自分の弱い気持ちが、罹患した原因なのかもなんて今更思えてきて、余計に悔しいのだ。

 同僚や先輩は優しくて、夏季休暇だと思って休めだなんて言ってくれた。大変な状況で、ただでさえ人手が足りなくて、身体も心も滅入ってしまいそうな毎日だというのに。困ったときはお互い様だって人の優しさと、思い通りに動かない身体に苛立って、少し泣いた。

 熱は2日間ほどで引いた。結構身体はしんどくて、頭はぐわんぐわんと破裂しそうだったし、悪寒がするのに汗びっしょりで、1時間おきに目が覚める。固形物は食べられなくて胃は空っぽなのに吐いた。3日目にもなれば倦怠感くらいで体調はすっかり良くなって、お腹も空いてくるようになった。

 親、恋人、友達が物資を届けてくれた。加えて東京都から、食糧がパンパンに詰まった段ボール二箱分が届いた。ありがたかった。胸がいっぱいでただ苦しかった。こんなに無償の愛を注げる人に、自分はなれているのだろうかと不安になる程に、息が詰まるほどに。日々、誰かに生かされている自分を、一人きり無力である自分を痛感する。

 天井と液晶画面を見つめる生活が続いた。そして、心ゆくまで眠った。朝も昼も夜もひたすら夢を見ていた。何日かして、せっかく時間があるのだから大掛かりな部屋の掃除をしようと思い立った。住処が整うと、さらに暮らしやすくなった。何しろ家から一歩も出られないので、QOLの充実を図るにはそれが最適解なのだった。

 苦手な映画を克服しようと映画を見た。心が疲れてしまうので、一日に見れて一本。そして読みかけの小説や、友人から届いたおすすめの漫画を読んだ。こうして過ごしていれば充実、というか、時間を無駄遣いしていない気がして安心できた。

 くだらないネットニュースや、さして興味のない切り抜き動画を見ても、ただ虚しいのだ。それでも変に疲れなくて、時間が適度に過ぎてくれるからいい。やることがない、つまらない、を意図的に選択したくなったその日はかなりの豪雨だった。雷の音がいつもよりやけに大きく聞こえて、世界にたったひとりきりになった気がしてしまった。天涯孤独。家に居て身体は濡れないし、布団に潜り込んで何も消耗せずに済むのに、異様に疲れてしまって、また夢の端と端を行き来する1日を過ごしていた。

 大切な人が永い眠りについたと知ったのは、つい今朝のこと。蔓延する感染病に、自分と同じタイミングで罹って。急なことでお別れはできなかった。最後にかけた言葉、今まで見せてくれた表情や動作ひとつひとつが、走馬灯のように脳内を駆け巡った。訃報を聞いても涙は少ししか流れなくて、胸がつっかえて何も手に付かなかったが、母に電話して話した時、やっと声に出して泣けた。雨が止んで、静かな夜だった。

 悔いのないように生きるってなんだろうか。私の人生はきっと、いつ死んでも悔いだらけだと思うけれど。

 別れはいつだって突然なのだ。だからこそ、誰かと悔いなく別れることができるように、君との別れを受け止められように、一生懸命生きなきゃなって思った。

 伝えたいことは伝えておかなきゃ、貴方にかけた言葉、触れた記憶、何を完璧にしていても、もっとこうすればよかったって絶対に思う、絶対に絶対にだ。それでも

 嘘じゃなかった。生きた意味とか、過ごした時間とか、貴方が空に帰って涙を流した人が沢山いることとか、貴方を忘れないようにこれから生きる私のことも。

 貴方が教えてくれたことが、私の血肉となり、そして人生になったんだ。そうやって私の記憶の中で生き続けて、私を強くして、いつだって奮わせてくれ。それでも、もうちょっと一緒に生きたかったと、そう思う。ありがとう。たくさん苦しかったよね。どうか安らかに。

 もうすぐ最後の夏休みが終わる。

#エッセイ #日記 #日常 #コロナウイルス #コロナ #生活



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