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Une Semaine à Zazie Films 週刊ザジ通信【9月7日㈬~9月13日㈫】

ジャン=リュック・ゴダール監督が、9月13日にスイスのご自宅でお亡くなりになった、というニュースが同日の夕方、日本にも届きました。享年91歳。後追いの情報によれば自らの意志で死を選んだそうで(スイスでは“安楽死”、“自殺ほう助”が法的に認められているそうです)、これについては考え方、人それぞれなので置いておきたいと思いますが、(ゴダールのパーソナリティを知っているワケではありませんが)最後の最後まで一筋縄では行かない人だったのだな、と想像したりしています。

ザジフィルムズが劇場配給をコンスタントにやるようになったのは、1998年2月に、今はなきシネセゾン渋谷でリバイバルレイトショーした1962年製作の『女は女である』から。この辺りの話は、2年前に当noteで連載したザジフィルムズの30年を振り返る“Histoire De Zazie Films”第3回第4回でいろいろと書きました。さっき数えてみたのですが、ザジで劇場配給したゴダール作品は『女は女である』を皮切りに、2002年10月やはりシネセゾン渋谷でレイトショー公開した『恋人のいる時間』まで、短編1本を含む全8作品でした。それ以外にも当時パッケージ化をメインの目的に買付けしたものも何本かあり、それらの中には劇場上映権も保有するものの、単独でロードショーする機会のないまま、数度上映しただけで権利が切れてしまった作品もあります。その中の1本に『アルファヴィル』があるのですが、今日はゴダールが亡くなって急に思い出した「アルファヴィル倉敷事件」について…(謎)。

『女は女である』は、9月19日(祝)に新文芸坐で18:30より上映されます。

日本ではATGの配給で1970年に初公開されている『アルファヴィル』ですが、その後も権利を保有する会社が移り、何度かリバイバル公開されています。ザジが一時的に権利を保有していたのは90年代後半からの数年。99年にイベントで一夜限りの『アルファヴィル』上映をしよう、と計画した際にことは起こりました。上映素材がないので「前に権利を持っていた会社に35mmプリントが残っていたら、それを使わせてもらおう」ということになり、その会社にコンタクトしました。社長は某有名映画評論家(バレバレ)。ちなみに契約期間が終了した作品の素材は、基本的には滅却するか、権利元に返却する、ということが契約書に謳われていますが、通常は次に権利を引き継いだ会社に譲渡したり、「いつかまた使う時が来るかも」と自社で保管したりするので、実際には滅却、返却は、あまり行われていません。

「ありますよ。倉敷に」。その人(M先生としましょう)は言いました。なぜかご本人が教鞭をとる倉敷の大学にプリントが保管されているとのこと。「では、フランスの権利元から適宜の書類を送ってもらうので、プリントを我々に引き継がせて頂けないか?」。すると「こちらで制作したものなので渡せません」との返答。経費をかけて作ったものなので、そのまま譲るのは納得できない、という気持ちは逆の立場になれば分かります。なので「じゃあ、お貸しください」と答えました。「着払いで結構ですので、ご面倒ですが東京に送って頂けないでしょうか?」とお願いすると、「直接取りに来るのなら、貸してあげてもいい」との返事。「お願いしているのはそちらなのだから、そのぐらいのことをしても良いのでは…」とも。ある意味、言っていることは正論(笑)。「分かりました」ということで、運搬用のキャスターを入手して、次の週倉敷まで足を運びました。

『女と男のいる舗道 4Kデジタル・リマスター版』は9月19日(祝)16:30より新文芸坐で上映。

M先生、現地にいらっしゃったものの「時間がない」とのことでご挨拶だけで、「プリントはそこ」と指差し、どちらかに姿を消しました。が、とにもかくにもプリントを無事に入手。キャスターをガラガラと引いて新幹線で東京に戻り、上映会も問題なく終了しました。そして今度は返却のご連絡。「こちらできちんと梱包するので、お戻しは配送でも良いですか?」。すると予期せぬ返答。「借りる時は頭下げて来たくせに、返す時は宅配ですか?そりゃそりゃ」。ちょっと驚きました。契約書上は先方には何の権利もないのですから、はっきり言ってしまえば法的には返す義務のないものです。が、面倒は避けたかったので、「分かりました。今から行きます」と告げて電話を切り(ガチャンッ!とはやってませんよ。笑)、その足で倉敷に行きましたとも!

二度目の倉敷…。現地にM先生はいらっしゃいました。「ホントに来たの?」と言ったか言わなかったかは覚えていませんが、質問していないのに「この『アルファヴィル』のプリントが必要なのは、35mmプリントの裁断、滅却の方法を、これを実際に使って生徒たちに授業でレクチャーするためであって、上映するためではない」と言っていたのだけは、良く覚えています。瞬間的に「絶対ウソ」と思ったのも。それ以来、M先生と再会する機会はなく、ご本人はすでに鬼籍に入られています。でも、あれは一種のイジメだったのか、酔狂なだけだったのか…。以上、オチがなくてすみません。ゴダール追悼にも何もなりゃしない昔話でした…。

ところで、今週のトップ画像は、1990年のカンヌ国際映画祭の時のもの。出品作の『ヌーヴェル・ヴァーグ』公式上映の前に、レッドカーペットに向かうゴダール一団を捉えた一枚です。1990年と言えば、私が初めてカンヌに参加した年なのですが、「こんな写真撮ったっけ?」と記憶を辿ってて思い出しました。これ、その年、後学のためにカンヌにやってきた私の友人が、私が貸したカメラでレッドカーペットに突進して行って撮ってきた、いわば戦利品的なショット。ゴダール奇跡のカメラ目線!どんだけ近寄ったんだよ、って感じですよね(笑)。その友人、当時は“一般のシネフィル女子”でしたが、今や映画宣伝界における大ベテランのパブリシストとなってます。

texte de Daisuke SHIMURA





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