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Histoire De Zazie Films 連載③  さらば映画の友よ あるいは、ゴダール再公開の波状攻撃。

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これまでの記事はこちら☞ 連載① 出発 、 連載② ひとりで生きる
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その後も地道な営業活動は続きます。
90年代半ばになると、レンタルビデオ向き作品のみならず、クラシック作品のテレビ、ビデオ向けの買付けもスタートさせました。今風に言うと、新たなフェーズに入った感じです。
こうしたクラシックを扱うことを提案したのも、前述のHです。
Hは私なんか比べものにならないシネフィルで、ルイス・ブニュエル監督を敬愛し、大学時代はスペインを旅して、ブニュエルの息子さん(『赤いブーツの女』監督のホアン・ルイス・ブニュエル)とも親交をかわし、ビクトル・エリセ監督をアポなしで訪ねた、という強者。「エリセと会えた時、連れて行ってもらったカフェは、まんま『エル・スール』の世界だった」と語ってましたっけ。

現在のザジのラインアップの礎となるゴダール、ヴァルダ等、ヌーヴェルヴァーグ時代の作品を手掛け始めたのもこの頃。ビデオ化権、テレビ放送権に加えて少しずつ劇場上映権も取得していたものの、個々の作品を劇場でリバイバル公開するには、労力がかかり過ぎて、配給業務を本格的にスタートすることが出来ない状態が何年か続きました。
この頃には、「ザジさん、〇〇の上映権をお持ちだそうですが…」という問い合わせを劇場の方から頂くことも多々。
当時のシネセゾン渋谷の支配人は、「ザジさんが 自社で動けないなら、こちらでチラシも作りますのでぜひやらせてください」と、アニエス・ヴァルダ監督の『幸福』をモーニングショーで上映してくださったりしました。そろそろ自社で劇場配給業務を始めるタイミングか…。

そんな時、勤めていた会社をようやく退職し、ザジと合流する準備を進めていたHが病気を患い、二人でやっていく、というのが実質的に不可能な状態に陥りました。そこに現れたのが、現在映画宣伝を主に会社を営む某女史。パリを拠点にしていた会社の日本ブランチとして、一人で何作かのゴダール作品の配給を日本で手掛けていた某女史が、ザジが複数のゴダール作品の権利を保有しているのを聞きつけ、「パリの社長がもう配給はやらない、というので、ザジが持っているゴダール映画の配給をやらせて欲しい」と名乗りを上げたのです。思惑が一致した私と某女史。
Hが常々、本格始動するなら一本目はこれ!と言っていた『女は女である』を98年2月、シネセゾン渋谷でレイトショー公開しました。当時は“渋谷系カルチャー”全盛期。前番組の市川崑監督『黒い十人の女』がヒットしロングラン、それに続いて公開された本作も10週のロングランを記録する大ヒットとなりました。
が、残念なことに30年来の友人であり、買付けの師でもあったHは、本作の公開一週前に亡くなり、幻の共同経営者となってしまいました。

※オフィス、私の机の上に飾ってあるHとの写真です。この写真に気づいても、たいていの新入社員は、隣の男が誰か聞いてはいけないことと認識して遠慮しているようです(笑)。


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