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Histoire De Zazie Films 連載⑥    不機嫌なママにメルシィ! あるいはアニエス・ ヴァルダとの邂逅

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前回の記事はこちら☞ 連載⑤切られた首
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2019年3月29日、フランスのアニエス・ヴァルダ監督が90歳と10ヶ月で亡くなりました。
私は仕事を終えて新宿のシネコンでティム・バートン監督の『ダンボ』を観始めたところでした。普段ならポケットの中のマナーモードにしたスマホが振動しても映画を観終わって場外に出るまで確認はしないけど、その日に限ってはポケットから出してチェックしました。パリ在住の映画記者の方からのLINEでした。
「ヴァルダさんが亡くなってしまいました」。
えっ?先月ベルリンではまだまだ元気そうだったのに!驚いたものの、今私に出来ることがあるワケでもないし、とりあえず映画を観てからLINEの返事を書こう、とポケットにスマホを仕舞い、スクリーンを見つめました…。が、映画の内容が全然入ってこないので観続けるのを諦め、劇場を後にしたのでした。

ヴァルダさんとの出会いは、90年代半ば。
その頃まだヴァルダさんは、自分の会社CineTamarisで自身の監督作の権利の管理をしていました。要するにヴァルダさんは監督であり、海外セールスの交渉相手でもあったのです。「あなたの過去の作品の日本向けの権利を売って欲しい」。最初のアプローチは入手したFAX番号に「海外セールス担当者様」宛にコンタクトしたのだと思います。後日、監督のアシスタントから返事があり、何度かやり取りをした後、次回出張でパリに行くタイミングで、事務所にお邪魔して監督に会う、ということになったと記憶しています。

私のヴァルダさんの最初の印象は、とにかく良く喋るばあさん(笑)。
私はフランス語が出来ないので拙い英語で歴史の浅い自分の会社の説明をしつつ、何本かの作品のオファーをしたのだと思います。ヴァルダさんは英語堪能。「これもどうだ」「あれもどうだ」とパッケージの本数を増やそうとセールストーク。そんな出会いだったので、私にとってヴァルダさんは歴史に名を刻む名監督、というよりも押しの強い海外セールスの担当者、という感じでした。

当時積極的にヨーロッパの過去作のセルビデオ化を進めていたTSUTAYAのビデオ発売会社カルチュア・パブリッシャーズさんや、他のビデオ会社さんに、何本かの作品をリリースしてもらいつつ、Cine Tamarisとの取引は始まりました。そして連載③回目で触れたように、シネセゾン渋谷で『幸福』をリバイバル公開したり、当時大映さんが買い付けて公開した新作『百一夜』公開のタイミングに、保有しているヴァルダさんの過去作を特集上映したりしました。

そして、ヴァルダさんとのビジネス関係が5年ほど経ったころ、2001年に発表され、世界中で高い評価を受けた新作ドキュメンタリー『落穂拾い』をザジが配給することになったのでした。
今でも覚えていますが、カンヌ映画祭で当時ヴァルダさんが定宿にしていたグランドホテルの中庭でミーティングした際、「『百一夜』で私の周りの人間は一斉に去ってしまったけど(作品が興行的にも、評価的にも厳しかった)、『落穂拾い』で皆戻ってきた」と、批判的にではなく、その事象を面白がって言っていました。

落穂拾い01

『落穂拾い』は、2001年6月のフランス映画祭横浜に出品されヴァルダさんも来日。この来日時にもたくさんのエピソードが生まれましたが、一番印象的なのは『落穂拾い』がメインのホールでの正式上映ではなく、一回り小さなサブ会場のホールでの企画上映だったのを当日知った時の落胆ぶり。
プログラムの都合上そうなったのでしょうが、「軽んじられた」と思われても仕方ありません。本人が事務局に抗議しましたが、当日変更できる訳もなく、そのホールで上映は行われました。
ヴァルダさんの凄いところは、そこで機嫌を損ねて非協力的になるのではなく、頭を切り替えて舞台挨拶も、サイン会もすべてきちんとこなしたこと。ヴァルダさんという人は思ったことはすぐに口にしなければ気が済まず、曲がったことが嫌い、ヘンな忖度なんて絶対しない、ホントに真正直な人だったような気がします。だから“キュートなおばあちゃん”キャラが先行した晩年とは違って、当時は皆に相当怖がられていた気がします。

落穂拾い02

話は逸れますが、フランス映画祭横浜で思い出すのは、当時個人で映画ブログをやっていた映画青年Yさん。私は元々そのブログのファンだったのですが、彼がフランス映画祭でボランティアスタッフをやっているのをリアルタイムで日記で書いていて、「アニエス・ヴァルダ監督の映画のプリントを台車に乗せて運んでいる歓び!」と、その日の出来事に触れていました。思わず嬉しくなった私は初めて「うちの映画です!ありがとう!」とメールを送りコンタクトを取りました。その彼が、今や映画祭のプログラミング・ディレクターとして大活躍しているYさん。お互い、若かった。

前回書いた“ジャック・タチ・フィルム・フェスティバル”と前後してしまいましたが、『落穂拾い』は、フランス映画祭横浜でプレミア上映された翌2002年2月岩波ホールで公開されスマッシュヒット。岩波ホールさんとのお付き合いもヴァルダさんがきっかけで始まりました。ヴァルダさんの話をしているとネタが尽きません…。折をみて続編も書いてみたいと思います。


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