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仏を殺せ、経典を捨てろ、俺の言うことを信じるな....宗教の極北「唐代禅」

「諸君、修行者たる者は、五無間の業を作ってこそ解脱できるのだ。」
(中略)
父を殺し、母を害(あや)め、仏身から血を出させ、和合僧(僧の共同体)を破壊し、経像を焼き捨てる。これが五無間の業である」
(岩波文庫『臨済録』p.133-136)

ジョン・カバットジンの興した「マインドフルネス・ストレス低減法」は、禅の瞑想から宗教色を抜いたものだと一般に理解されています。確かに、彼の著書を読んでも「ナントカ仏を拝みましょう」とか「お経を毎日唱えましょう」とか、そういった宗教儀式や“まじない”的な要素は全くといっていいほど見当たりません。
(余談:せっかく宗教色を抜いたにも関わらず『幸運引き寄せ』とかの民間呪術と結びついてしまっている事例を見かけると、苦笑いするほかありません。)

ところが、そもそもマインドフルネスの前身となった禅にも実は「ありがたいもの」を拝むことが全く無い分野がある。それが、中国・唐の時代に栄えた禅のトレンドなのです。

「内においても外においても、逢ったものはすぐ殺せ。仏に逢えば仏を殺し、始祖に逢えば始祖を殺し、羅漢に逢ったら羅漢を殺し、父母に逢ったら父母を殺し、親類に逢ったら親類を殺し....」(岩波文庫『臨済録』p.97)
一切の仏典はすべて不浄を拭う反古紙だ」(同p.84-85)
「諸君、わしの言葉を鵜呑みにしてはならぬぞ。なぜか。わしの言葉は典拠なしだ。」(同p.139)
師(注:臨済)が達磨の墓のある寺に行ったとき、その住職が言った。「長老は先に仏を礼拝されますか、それとも先に始祖を礼拝されますか。」師「仏も始祖も両方とも礼拝しない」(同p.200)

ハッキリ言ってムチャクチャです。およそ仏教とは思えない、それどころか宗教とすら思えませんし、自分の発言が正統的でないとまで言い切るのですから破天荒にも程がある。こんなブラックメタルバンドのようなことを言っているのは、中国禅の宗派「臨済宗」の開祖・臨済義玄です。

彼がなぜこのようなハードコアなことを言っているのかというと、禅に流れる「即心是仏」という思想によるものです。
そもそも禅というのは仏教の中では大乗仏教に分類されるものです。大乗仏教が生まれる前....つまり現在の上座部仏教と呼ばれるような宗派では、仏になる(解脱する)ために何度も何度も輪廻を繰り返しながらとてつもない年月の修行を経てようやく到達できる(という扱いに変容していった)ものでした。なので、解脱に至ることのできる人間は、出家したごく僅かな「高貴な修行者」のみということになってしまいました。(参考文献:角川ソフィア文庫『サンスクリット版全訳 維摩経 現代語訳 』)
そういった思想へのカウンターとして生まれたのが大乗仏教です。大乗では全ての人に「如来蔵」とか「仏性」と呼ばれる「仏の資質」が備わっているとされました。修行さえすれば、すべての人に解脱のチャンスが与えられることになったのです。
禅では、そこからさらに進めて「人間のありのままがそもそも仏なのだ」という所に発展していきました。それが先ほど示した「即心是仏」....心すなわちこれ仏というわけです。そもそも自分自身が仏なのですから、誰かの教えを鵜呑みにしてひたすら坐禅をしたり、意味もわからないのに経典の内容を唱和するというようなことは完全に無意味で有害なものということになります。それが冒頭の過激発言に繋がっていくというわけ。

これは別にサボりたいからこんなことを言い出したのではありません。ありがたい経典の霊妙な神通力にあやかろうとか、テンプレ通りに仏教を勉強すれば必ず救われるというような、仏に依存してしまおうという姿勢を厳しく戒めるためのものです。「お前の救いはお前なんだ」というのが唐代禅の明確なメッセージなのです。

「頭を丸めただけの坊主のなかには、修行者に向かって『仏陀は完成の極致である。三大阿僧祇劫という長い長い間、修行し徳を積んで、始めて成道されたのだ』という連中がいる。諸君、もし仏陀がそんな極致の人だというのなら、ではどうしてたったの八十年でクシナガラ城の沙羅双樹の間で横になって死んだのだ。仏は今どこにいるのか。明らかにわれわれの生死と違ってはいないのだ」(同p.86)(注:二重カッコ記号は筆者が追加した)
「君たちは、わき道の方に探して行って手助けを得ようとする。大まちがいだ。君たちは仏を求めようとするが、仏とはただの名前である。君たちはいったいその求め廻っている当人が誰であるかを知っているか。(中略)
いったい法とは何か。法とは心である。心は形なくして十方世界を貫き、目の前に生き生きとはたらいている。ところが人びとはこのことを信じきれぬため、菩提だの涅槃だのという文句を目当てにして、言葉の中に仏法を推し量ろうとする。天と地の取りちがえだ。」(同p.48)
「弟子の見識が師と同等では、師の徳を半減することになる。見識が師以上であってこそ、法を伝授される資格がある」(同p.199)(注:この発言は臨済ではなく後の潙山によるもの)

このように「主体性の要求に伴う権威主義の否定」というのが唐代禅の特徴でしたが、ところがテンプレに対する批判をテンプレでやるようになったり、「修行しなくていいんだヤッター!」と自堕落になるアホが後を断たなくなり、「やっぱ『ありのまま』とか言ってちゃダメだろ」とさらなるカウンター思想を生み出すことになります。それが、意味不明な公案を突きつけて修行を迫るという、北宋の「看話禅」に繋がっていきます。
このへんの思想潮流の話はめちゃ面白いうえに詳しく書こうとすると本が一冊できてしまうんですが、というか既に偉大な先人が本にしているので、そちらを読んでもらうのが適切でしょう。「禅ってそういうことだったのか!」となることうけあいです。

このマガジンの説明に「スピリチュアルなことは書かない」と宣言しているのは、唐代禅のこうした気風が影響しているのだという、今回はまあそういう感じの話でした。

参考文献:

↑意味不明とされる公案の文脈を注意深く探っていくことで唐代から宋代にかけての禅の思想を探る良書。そう、そもそも公案には「意味」があったのです。

↑上の本と同じ小川隆の本。始祖達磨から始まって鈴木大拙までの禅の思想の歴史を概観できるオススメの一品。正直めっちゃ勉強になる。

↑今回の記事の引用は全てこの本から。漢文、読み下し文、現代語訳が載っているので資料としての価値が高い。案外薄いのですぐ読めるが、文脈が失われた部分も多い。

↑本稿でチラリと出てきた「維摩経」。在家信者の維摩詰という男が、上座部仏教の象徴たる十大弟子をコテンパンに論破するという内容。硬直した権威と化した仏教を批判する大乗仏教の狼煙。

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