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毎朝、この街を愛す

数ヶ月前から、できるだけ毎朝1時間くらい散歩するようにしている。私のマンションからの散歩コースは6パターンくらいあるのだけれど、とりわけ好きなのは、綺麗な新築マンション群を見上げて裕福な暮らしを想像すること、狭い住宅街の路地裏に入り込んで懐かしい生活感に酔いしれることなど、立ち並ぶ様々な「お宅」を眺めながら歩くことだ。

大通り沿いには、タワーマンションはないが低層の美しいマンションはそれなりに多い。一方で、一つ裏に入れば、火事が起きたらもう一蓮托生だと言わんばかりに隣と隣との距離が近い住宅エリアに迷い込む。どちらに住まう人々も、人それぞれの身丈にあった幸せがあって、事情があって。あ〜この家住みたいな〜いくらかな〜あ〜この家めちゃくちゃ古いけどお庭のお花よく手入れされていますね。おっとこんなところに小さな町中華。こんなところでやっていけるってことは、周辺住民に愛されているんでしょうね。あれ、こんなところに食ばん屋さんができている。

コロナ禍前によく徘徊していた飲み屋街も、諦めにも似た貼り紙が、まだあの店主やその店に来るどうしようもなく大人になれない輩みたいなお客にも、会えないだろうことを理解させる。

ふとした瞬間に、何か懐かしい温かい匂いが鼻腔をくすぐった。炊き立てのご飯かな?いやパンかな?キョロキョロしてみると、古いお豆腐屋さんの排気口みたいなところからホカホカと湯気が立ち上っているのを発見した。ねじり鉢巻にヨレヨレの肌着、腰からつけるタイプのエプロンみたいな服を纏った長靴のおじちゃん。朝から職人は大忙しだ・・・それにしても、これが出来立てのお豆腐の匂い或いはその過程で発される匂いなのか。うーん、匂い心地がいい。これならこのあたりに仮に住んだとして毎朝嗅がされたとしても、豆腐を嫌いになることはないだろう(多分)

変わる日常と変わらない日常が街には交錯しているが、毎朝ほぼ同じような道を歩き、場所を眺めていたとしても、不思議といろんなインプットがあるものだ。私はこの街を愛している。朝の散歩は、その思いを毎回確信させてくれる。コロナ禍がなければ、この時間私はおそらく満員電車に揺られてスマホをいじっていた。

そんなことを思いながら、家に帰ってくる。ただいま。二匹の猫が私を迎えてくれる。さてさて、仕事の準備だ。

明日、晴れるかな。

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