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あかるい夜

緩やかに街の日常がもとに戻りつつある中、すっかりステイホームに慣れてしまった私は、コロナ禍前はあれだけ毎日のように外で飲んでいたのに、ピタリと飲みに行かなくなってしまっていた。

もちろん理由はステイホーム習慣だけではない。転職活動や読書に割きたい時間が増えてしまい、飲みに行くことの優先順位が私の中で下がってしまった。自分自身驚きを隠せないと同時に、嗚呼今まで私は時間というお金をお酒にどれだけ溶かしてきたんだろう(そしてそれは確実に脂肪となって私の体に還ってきている。還ってこなくて宜しいのに)と感慨深いものがある。そのことについて、後悔していないかというとちょっと苦しい(それだけのリソースを費やしてしまったということだ)けれど、やっぱり飲みにいくこともお酒もすきなので、なんとか時間を作って、今日は大好きなあの店に行こう。そう決意して、まだ暗くなりきらない夕方17時半頃、仕事を切り上げ近所のやきとん屋さんに潜り込んだ。

「潜り込む」という言葉がまさに似合う、古びたビルの地下に佇むその店は、良い意味で私にとってまさにディストピア。照明はぼんやりとしたオレンジ色で薄暗く、汚くて、炭臭い。(余談だが、特にトイレは暗黒地帯。この世の終わりを感じる。トイレそのものが汚いというよりも壁がとにかく油シミというのだろうか、ホラー映画に出てくるような血糊が垂れ下がっている襖のごとく気味が悪い。不潔・不衛生というわけではないので、なぜかその退廃的な絵面が気に入ってしまっている)

入口入って左手は7〜8人分のカウンター。その前では、ヒョロヒョロの店長が相変わらず串を焼いている。右手は畳の上にテーブル席という斬新なスタイルは変わっていない。既に席は7割程度埋まっている。若いお姉ちゃんにカウンターへ誘導されると、早速ハイボールを注文した。

安くてとにかくうまい。それは即ちシンプルかつベスト。コロナ禍前は2週に1回は足を運んでいただろうか。とにかく食材が新鮮、味付けも最高。お気に入りはアミで巻かれたつくね(タレ)とクルクルタイプのマカロニのサラダ。絶品。席に着いてから当時の私に戻るのは一瞬だった。結論、食べすぎた。

玉ねぎの酢漬けとはらみ炙り焼きポン酢をちまちまつまみながら、「狐狼の血」を知って以降ファンの柚月裕子さんの「最後の証人」を読む。居酒屋で一人文庫本を読みながら、たばこを片手に酒を飲む一人女を想像したあなたに、否定されようが肯定されようがかまわない。これでいいのだ。うーん、うまい。今日のはらみは今までで1番うまい。最高の炙り具合と柔らかさ。唾液が止まらん。

公判2日目にたどり着いた頃、ハイボールが空になったので私も2杯目に進む。ついでに、この店の名物と言っても過言ではないフォアグラを追加注文。ご奉仕品につき数量限定。絶句するくらいの旨さと安さなのだ。

この時点でわりと腹は余裕を失いつつあったのだが、冒頭私が書いたお気に入りをまだ頼んでいないじゃないか。もう次いつ来れるかわからないのに、それはないだろ。というわけで、「すいませーん」つくねとマカロニサラダを注文したときに、店長が刹那一瞬だけ固まったのを私は見逃さなかった。店長の頭上に「一人で全部食えるの?」という文字が確実に浮かんでいた。

公判3日目になる前に、満腹すぎて酔いも回ってきた私は罪を認めて箸を止めた。私は自ら注文したにも関わらず、玉ねぎをちょっと残しました。本当にごめんなさい。反省しています。ごちそうさまでした。

お会計はいつものごとくびっくりするくらい安かった。これだから、私はこの地下にひっそり広がるディストピアの扉を、また開かずにはいられないだろう。時間を作って、たまには退廃的に溺れようじゃないかふふ〜んなんてほろ酔い気分の一方で、腹にずっしりとした重みと食べすぎたことへの純粋な後悔を抱えながら地上に這い上がった。すると、やはり緩やかに街の日常は戻ってきていた。目の前に広がるのは、お店の灯りと人々が行き交う交差点。夜ってこんなに明るかったんだね。



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