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私の中に、あなたの中に、ヒコロヒーさん。

ゴッドタンでみなみかわさんとのコント(漫才だったら、その世界においてとても無知でかたじけない)を見たのが、私とヒコロヒーさんの画面越しの出会いでした。本当に衝撃的というか、「この人、好き・・・」という感情が抑えられない面白さでして、Youtube等でその動画を一心不乱かつ浅はかに探すも当然ですが見つからず、それ以降はヒコロヒーさんが出る番組・動画はたくさん拝見して、どんどん虜になっていく自分が紛れもなくそこにおりました。一方で、「ヒコロヒーさんが好きな自分」を素直に認められない、「いや、たまたま最近よう出とるから見てるだけやん。そうやろ」と斜に構えている自分がいたこともまた、不可解な事実だったのです。

いいえ。実はそれは元来全く不可解ではなく、ヒコロヒーさんの中に自分や自分がなりたかったもの、そういうものが垣間見えたから、つまりは嫉妬の対象になったからなのだと、今は落ち着いて認識できているのですから不思議なもので、そのきっかけになったのは、やっぱりヒコロヒーさんのエッセイ「きれはし」を読んで、彼女が自分の嫉妬の対象ではなくなったからなのだと、無意味に自己分析してみています。

ええ、わかっています。嫉妬の対象になるとは即ち、相手を自分と同じ土俵にいると潜在的に認識しているから湧き出る感情なのでして、そんなものをヒコロヒーさんに対して勝手に抱くなんて、その時点で世間様からは盛大な失笑と哀れみの花束をそっと授けられるだろう類の大変お恥ずかしいお話だと、ちゃんとそれなりに自覚していまして、だからこそ今私はまるでこの感情を自分の”きれはし”とするかのように、思い切ってここに残してみようと血迷っているのです。

「きれはし」が出版されたとき、「えぇ・・・どんだけブレイクすんねん」と素直に喜ぶことのできない腐れな私は、後の宝となるだろうその本に、すぐには手を伸ばせずにおりました。それでも、ツイッターやインスタグラムで投稿される「読んだ!」「面白い!」「ヒコロヒーさん大好き」の嵐の中、ついに「うう・・読みたい」という自分の感情を抑えることがどうにもできず、まずは近所の小さな本屋さんに電話をしてみたのでした。「あ、本の在庫確認をしたいのですけど・・・はい、『きれはし』というタイトルで、ヒコロヒーさんという方の本です。」

このコロナ禍の最中です。この私が、ヒコロヒーさんの本を買うためにわざわざ池袋の三省堂書店まで電車に揺られるかというとそこまで読みたいわけじゃないよねうんそうでしょどう考えてもと自分でもドン引きするばりの意地を張り、その上流石にこの街のちっちゃな本屋にあるわけないよね?うんそうでしょどう考えてもそうだと言って店員さん、と、半ばチンケな神に縋るような思いで電話をかけたことは、はっきりとした事実でした。

何より私を絶望させたのは、「はい、●●書店です」と無愛想な声で電話に出た店員さんが、私が「『きれはし』というタイトルで」と言ったその瞬間から、「はい!」なんとなし声のトーンが一オクターブ上がったような気がしたことでした。ま、まさか・・・あるんちゃうやろうな・・・と思って耳の鼓膜を研ぎ澄ませたところ、「今2冊あります!お取り置きしておきましょうか?」というお客様サービス満点の回答が返ってきたのですから、もう私は「いやいやいいです・・・そのうち買いに行きます」というつまらないポーズをとりかけたのも束の間、「あ、では15時頃伺いますのでお願いしてもよろしいでしょうか」とほぼ泣きそうな声で店員さんに懇願したのでした。

クーラーの効いた部屋から抜け出し、近所の当該本屋に向かい薄紫のその本をピックアップしたのち、私は行きつけの喫茶店に入りました。たばこが吸えて、素敵なジャズがかかっていて、昔むかしにタイムスリップしたかのように香ばしいその喫茶店は、まさに陳腐な表現になりますがこのエリアの喫煙者のオアシスです。色んな意味でほぼ助けを求めるような気持ちで入店した私は、店員さんのウェルカムに対し食い気味に「アイスコーヒーをお願いいたします」と言って着席、たばこに火をつけ、後に宝となるだろうその本に手をかけました。

それ以降のことは、「きれはし」をお読みになった方ならわかると思いますが、私はその香ばしい喫茶店で一人、抑えきれず定期的に噴き出る鼻息(それを即ち、笑いと言います)と戦いながら、あっという間に読みちぎってしまいました。しめて、たばこ5本。アイスコーヒー2杯分の時間が流れていました。

「まるこ」でまず郷愁を含んだ笑いにエスコートされ、「コリドー街前編」でわかりたくないけどわっかるわぁ〜〜8往復わっかるわぁ〜〜てか皮膚?と涙を擦り、その後編ではほぼ全力で女ヒコロヒーを応援していて、忘れていたのはしょうがないとしてももうちょっとメッセージの書き方があるでしょうよこんなに文才があるのですからと腹すら立っていたし、「彼女たち」では人間ヒコロヒーの夕暮れみたいなあたたかさに包まれていました。そして、最後の「チェックリスト」を読み終えた頃、私はまごうことなき彼女のファンに心からなり果てていたのです。だって、こんなものすら書いていますし。

たばこが切れたことを言い訳にするように、私は「きれはし」をそっと鞄の中にしまい、そそくさとお会計を済ませ、喫茶店を後にしました。外はものすごい暑さの日中から、先ほど感じたような、あたたかめの夕暮れどきになっていました。

ところで、話は序盤のつまらない嫉妬問題に戻るのですが、なぜ私は自分の中に「ヒコロヒー」という女を垣間みていたのでしょうか?それってまるで、「セックスアンドザシティ」でキャリーに対して「あなたは私そのものよ!」と言い放つ女の頭の悪さと一緒ではないかと悲しくなるのだけれど、これを読んでくれているあなたも、ふとご自分の中にヒコロヒー的な何かがいたこと、ありませんか?え、ない?

人と同じような器用さは持ち合わせていない上に、態度は一端に悪いわ、目つきも同じくだわ、スナックフェイスだわ。一方、数少ないお友達が喜んでくれるなら、笑ってくれるなら、まあええかとたまには思えるお育ちの良いところもある。男は基本的に嫌いだけど、おおらかでピュアな男は好き。共通点多い!わーい!ってそういうことが言いたいのではなくて・・・・私はこの「きれはし」を読んで、ヒコロヒーさんの懐や才能そしてお笑いへの静かな情熱に触れ、嗚呼残念ながら自分は足元にも及ばないなぁ、と気づくことができたのです。そして、それに絶望するのではなく、諦めにも少しだけ似た「自分がこの先も自分であり続けられること」そして、「自分が好きなものや、やりたいことに、もう少し真摯に向かい合うこと」そんなことを改めて考えるきっかけがもらえたような気がしています。酒とたばこに溺れ、お金はないけど、人生は短い。まさに私の業は、彼女の思惑どおり、彼女の業と交わったのでしょう。

この「きれはし」は、きっと、実家にあったさくらももこさんの「あのころ」のように、私の本棚で存在感を放ち続けるでしょう。それが私の人生にとって本当に後の宝になったのであった。と言えるような、私のこれからの生き方でまいりたいと考えています。

#ヒコロヒー #きれはし




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