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【ss】ありがとう #シロクマ文芸部

 ありがとうございました――

細い声が夕空に吸い込まれていくのを見送る。
西の空にまだピンクと紫の雲が残っているのに、もう冬の星たちが見え始めている。
今夜はもうお終いねと独りごちて庵にもどると、程なく、ほとほとと戸を叩く音がした。
訪ねてきたのは小さなテディベアだった。

「かえりたい、かえりたい」

薄汚れて、あちこち破れた小さな茶色いクマは、何を聞いてもそう繰り返すばかりだ。
作られて五十年経つかどうか、おそらくそれほど多くの言葉を知らないのだろう。
『かえりたい』か、いったい何処へ帰りたいというのか、可愛がってくれたかつての持ち主か、作った者のところか。

私も何処かへ帰りたいのだろうか――

百年たった物は付喪神になる。
でも百年経つ前に捨てられた物は?

私は美代ちゃんの茶碗だった。
美代ちゃんのお父さんが買ってきた九谷焼の椿の柄の茶碗。
美代ちゃんは私を大切に使った。お嫁に行く時も持っていき、頂き物の夫婦茶碗が割れると、また私を使ってくれた。ご主人はそんな美代ちゃんを愛おしそうに見ていた。

美代ちゃんが老人ホームへ入る時、私は連れて行ってもらえなかった。
そして、息子のヒロシが黒い服で戻ってきてから数日後、私たち“美代ちゃんの物”はゴミの袋に入れられた。
ヒロシは最後にそっと手を合わせてくれたけど、嫁のヤスコはすっきりしたわねと言い、収集場に投げ捨てたので私の体は粉々に割れた。

私は怒った。こんなふうに雑に扱われていいはずはない。私は美代ちゃんの茶碗なのだから。美代ちゃんがヒビひとつ入れる事なく八十年使った大切な茶碗なのだから。

付喪神になれない私は、あれから人の姿を借りてこの地に留まっている。
同じように神にもなれず、思いを断ち切れずに彷徨っている”物“たちの話を聞き、空へ昇る手伝いをしているのだ。

「かえりたい、かえりたい 」
赤いガラスの目からポロポロ涙をこぼして泣いているクマをあやしているうち、腹の底に溜まっていた怒りはとうに消えて無くなっていることに気がついた。
「帰りたいね、一緒に帰ろうか」
クマを抱えて外に出ると、冴え冴えしい冬の空気がすっと体を通り抜けた。振り返ると庵は消えている。
私たちはゆっくりと夜空を昇っていく。
白く明るい星を目指して。
笑顔の美代ちゃんを目指して。

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✱古い鉄の急須を捨ててしまいました。
今更後悔しても遅いのに、それからずっと心が晴れず・・・

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