客観は主観の補助輪であるという話
今回のお話
最近どんどんお客さんに提案していきましょうという話がよく出てきます。その中でいくつかアイデアをいろいろ出してはお客さんに投げかけてみてなんてことをしています。
決まったものもそうでないものも含めて提案することってこんな気楽でよかったんだという印象を持ちつつ、提案ってなんだろうかと考えたりしています。
今回は、意思決定と主観について考えていきます。
客観は主観の補助輪
データ分析、エンジニアリング、デザイン、営業などなどサービスやプロダクトに関わる様々な職種においてお客さんやユーザーと向き合って「提案」をしています。
提案は、プロダクトをリリースすることでもありますし、一機能の実装でもあり、受注をとってくることもバナーやUIリニューアルもそれにあたります。
その背景には、主観があると思っています。主観とは、このプロダクトはこういう方向性で進めようであったり、そこまでいうなら商品を書いますなど誰かの意思決定の最後の一歩、すなわち「決め」のことであると考えています。
デザインやデータ分析、営業も全てはその「決め」を動かすための客観にすぎないと思っています。というよりは、主観を支える補助輪であると考えています。
デザインにしてもお洒落なんでこれにしましたというより、ユーザーのxxxに対して〇〇といった効果が見込めますと言われた方がしっくりくる。
ただ、データやデザインにしろ、突き詰めた客観性は結局のところ事実の塊であって主観ではない。言葉遊びのようでありますが、物事は「決め」ないと進まないのです。
ユーザーがその商品を買うと「決め」たのも上司がそれを承認すると「決め」たのも積み重ねた客観が意思決定のバロメーターを「決め」の方向に傾けたのにすぎないのです。
であるとするならば、どういった主観がユーザーの中やお客さんの中にあってそれを「決め」の方向に傾けるために、デザインやエンジニアリングやデータ分析や営業はあるべきであると思っています。
ロジカルな思考を向けるのもユーザーがそう思っていると思っている自分の仮説に対してのみ有益なのだなと感じています。
(ユーザーの行動や結果をみて全くもって仮説がかすりすらしていないというのも往々にしてありますが)
そしてそのサイクルをどれだけすばやくこなしていくかが昔も今も求められていることだと感じます。どんなサービスもユーザーの人生の中のほんの一部の接点であり、その刹那の中にどれだけ埋め込めるかが必要なのだと感じています。
最後に
長年の経験の蓄積から客観を通り越して主観のみで的確に答えを導く人もいます。それは、客観を織り交ぜて積み重ねてきたことのなせる業であり、少ない経験しかない状態では、いかに客観をサポートに主観を斡旋していくかが大事になってくるかと思っています。
キャリアの中でどれだけ主観を傾けた経験を積み重ねられるかということであり、そのためにどんな業やもっているどの刀を研いでいくのかということに注力するべきなのだなと最近は常々思います。
そして全ては手を動かしているものだけにそれは降りてくるということです。
それでは、また。
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