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学びのための方法論について

今回のお話

最近勉強をしているとどう学べば最短経路で進めるのだろうかなんて考えています。

ただ、その答えは唯一無二のものはなく全てケースバイケースであるというものだとも考えています。

学びのステージやフェーズ、自分自身の理解度に応じて変化していくものだろうと。

今回は、勉強のための勉強法について考えていきます。

繰り返しとアウトプットについて

人は繰り返し脳の中に叩き込まないと知識を定着させられないようになっています。

忘却曲線と呼ばれるほどの言葉があるように、昨日の晩飯も覚えられないような人間に何らかの知識を組み込むには、繰り返しが必要だと思っています。

では、学校の勉強のように予習と復習を繰り返せば良いのかというとそうでもないのかなと思っています。

社会人になり、業務以外の時間で勉強に時間を費やす中で予習と復習のスタイルはもったいないと感じます。その理由としては、「進捗と継続性」の関係性にあります。

社会人として学生でもそうですが、何らかの成果を求められます。そういったことを長く続けていくと成果のでない活動に対してなかなかリソースを先辛くなりがちです。

ビジネス書が売れるのも明日の仕事に活かせるのではないかという期待が多分に込められているからだと思っています。

しかし、学びにおいては、短期的に成果が出ることはあまりありません。長期的に自分の血肉にしていくものだと考えています。そうすると進捗を求めがちな思考に犯されていると予習と復習のようなスタイルでは、時間がかかりすぎて三日坊主になる恐れがあります。

個人的には、社会人の学びの中で気をつけるべきは、毎日続けられるのかということです。もちろん三日坊主を延々と繰り返すスタイルで構わないのですが、やはり続けるということが重要なキーファクターだと思っています。

とすると予習と復習以外でどう進めていけば良いのかという話になりますが、自分は以下を意識しています。

・とりあえず最後まで読む
・何周もすることを前提とする
・忘れそうなことをブログなどSNS上にアウトプットする

強引に単純化すると7回読んでこいよというのが、本書の結論ですが、概ね自分自身も賛同していて、参考書や技術書を読む際は、とりあえず最後まで読むことを意識しています。

というのも以下のケースが多いからです。

最初から読む→3章目くらいから難しくなって離脱→記憶から飛ぶ→最初から読む→3章目まで到達してやっぱり離脱→以下ループ&ループ

これの良くないことは、投下時間に対して定着した知識量がほぼ皆無だからです。いわゆる「徒労」というやつです。

であるならば、どれだけ理解度が低くてもどれだけ頭を素通りしてでも一度決めた参考書や技術書は頭から最後まで読み切るというのが重要です。

とりあえず読むことのメリットは、読み切ったという達成感、何が書かれていたかの記憶は得られる、次読むにあたって何が足りていなかったのかわかるということです。

一番目の達成感というのが、一番重要だと考えていて、徒労で終わる挫折感が頭に根付いてしまうとどうも勉強したりすることに億劫になってしまいます。仕事以外でも勉強やインプットすることは大切だと思っていても易きに流れるのが人間の性であり、そこを責める必要性はありません。

辛く苦しくとも自分自身の能力や社会貢献に役立てるために続けるのだからこそ、そこに達成感という自己肯定感を植え付けるものが本当に大事になってくるのです。

だからこそ、最後までとりあえず読むのがオススメです。また自分に足りていないことを理解して再度挑戦するためのロードマップが自分の中に形成されるのも良きです。

というのもとりあえず読み切ることの前提に、何周もするという考えがあります。参考書や技術書は、読んだときの自分の中の課題意識や問題、仮説、能力など様々な要因と環境の組み合わせで得られるものが変わってきます。

ただそこに書かれている字義的なものだけではなくそこに至る思考プロセスまで自分自身の中に落とし込もうと思うと何度も繰り返し読む必要があると思います。

とはいえ、全ての書籍を何周も読む必要はないかと思います。一度目の挑戦時に簡単に思えたり、既知の情報が多い場合やかなり実力差があり、到底読み進められる能力に達していないものは、そっと本棚に置いておけばよいかと思います。

で最後にアウトプットすることですが、これは備忘録的なものだと思えば良いです。

よくあるかと思いますが、何か勉強していてわからず検索する、そしてその場では理解できたが、翌日忘れて再びネットの海を潜るというようなことです。

これを防ぐということとアウトプットすることで自分の言葉でまとめるということで定着を図るという2つのメリットがあります。

ここで意識しておきたいのは、一次情報を見ることです。プログラミングであれば、勉強している言語やライブラリやフレームワークの公式ドキュメントやソースコードが見れるはずです。

実際にQiitaなどで解決策を見つけたとしてもそれは一体どういう原理なのかということをドキュメントやソースコードまでおっかけていきます。

これは、単に仕様をきちんと知るということだけではなく「苦労して解決策を得る」という意味合いがあります。一次情報というのは価値が高い分、大変だったりします。(先のプログラミングの例では、英語で読み解いたり、処理をいちいち最後まで追いかけていかなくてはならなかったりしますよね)

その分、何でこうなんだろうかやこれはあれにも使えるのではないかというように応用に発展する疑問などが浮かび上がってくるはずです。

それも学びの楽しみでもあるので、そういったこととセットでアウトプットしていくことでただ読むこととは違った効果が得られます。

最後に

初めに書いた通り、あくまで個人の一例であり、皆に適用可能な原則ではありません。ケースバイケースであり、他者の勉強法から自分自身のものへと適用可能なものだけを抽出するというのが、正しい姿勢かと思います。

なんとなくイメージだけでいうと、自分自身にとっての学びとは、自分の中にタレを注ぎ込むことだと思います。創業当時から継ぎ足しの秘伝のタレのツボのようなものです。

今自分が弱火か強火かはフェーズ次第ではありますが、いろんな物を入れてアクを取り除き、味見をしながら澄んだものになるかどろどろのものになるかは、個々人の「味」だと思います。

共通してい言えるのは、注ぎ込むことを止めずときには強火力でぐつぐついわせることなのかなと考えています。

それでは、また。

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