自責思考と他責思考のバランス
今回のお話
https://toyokeizai.net/articles/amp/196827?page=4
自責思考と他責思考という言葉があります。
責任を持つということはどういうことでしょうか。
またどの程度自分のせい、他人のせいにするのでしょうか。
今回は自責と他責について考えていきましょう。
根性論に逃げないこと
責任という言葉の強さは身をもって誰もが知っていることかと思います。
君には責任や目的に対する熱意がないなど度合いの強さであれそう上司や同僚から言われることがある人もいるかもしれません。
責任というとどうしても結果を遂行するための「義務」と捉えられがちです。
そのため、失敗をしてしまうと義務を果たせないための処罰や叱責が起こるわけです。
そしてその多くが責任感がないという「根性論」に着地してしまうことです。
これは組織や個人に対するBad UXだと思っています。
組織のある個人がそのような形で処罰や叱責を食らっていると自分自身もそうはなりたくないとなり、社内向けやお客さん向けの体裁の良いスタイルを突き進むようになります。
向き合うべき価値はエンドユーザーの体験やエンドユーザーに提供できる代物であるのは重々承知しているはずなのにいつのまにか向き合う先がすり替わっているのです。
そうなると自責思考の強い人間も立ちいかなくなり退職したり追い込まれたりします。
その内他責の強い人間ばかりが集い目的ではなく手段にコミットする組織の出来上がりです。
もちろん自分に対して処罰や叱責を受けたくないという気持ちは理解できますし、自分もそうです。
ただそこでその責任という時限爆弾を誰かにパスし続けるだけの人間になってしまうのはいささかもったいないように感じます。
爆破しても傷のつかないスーパーマンのような肉体を作ろうと突き進んでしまいがちですが、そもそも爆弾に火種が付かないように、火が起こらないような仕組みづくりが大切です。
飛行機などではライターを持って火をつけないようにと言われるのではなくライターを持ち込ませないなどのルールが徹底されているはずです。
しかし、仕事場においてはそうはいかないのは辻褄が合わない気もしますよね。
何かしらの失敗があった際に、まず仕組みやルール、環境構築に失敗がありそれを次に活かせるためにはどうしたら良いのかを考えるべきでしょう。
失敗をした人を責め、次からは頑張りますと宣誓させるのは何の解決にもなっていません。
個人的にはどれだけ他人が悪かったとしてもオープンやクローズドに関わらず人を責めることはありません。
他人がそうならざるを得なかった環境や行動を誘引する状況が発生していたことが諸悪の根源だからです。
不正のトライアングルという言葉があります。
機会、正当化、動機の3つが揃うと不正が発生してしまうということです。
この3点を理解した上で仕組み作りや環境構築、心理的安全性を育んでいかなければ誰もオープンには情報共有しませんし、雰囲気悪いだけの組織になってしまいます。
自分が頑張らねばと自責思考に傾倒しすぎると身を滅ぼすだけであり、他人や環境が悪いと他責思考になると因果応報になります。
どちらかではなくどちらもバランスよく持つことが重要です。
最後に
忙しい時や納期が現実的でない時に他責思考というかジョーカーを引きたくない心理に陥りやすくなります。
一人ならともかく組織で働く上でババ抜きをしてしまうと立ち所にスループットが下がるでしょう。
責める機会だけが増えてなぜ改善しないのかと嘆くだけの場になってしまいます。
仕組みや枠組みを疑い人を責めずコトを責める。
頭で理解しても口では責めることがどうしても多いのでポジティブにどうすれば良くなるのかだけを考えていきたいですね。
それでは、また。
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