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データ分析とは確かにその瞬間あなたが存在していたという歴史の証明

みなさんは学生時代、歴史はお好きでしたでしょうか。個人的には好きな歴史上の人物が数人いたこともあり楽しめていたのですが、授業自体は、正直とても退屈でした(笑)。これをご覧になられているあなたも同じだったのではないでしょうか。

なぜでしょうか。

おそらくそれは、従来の歴史研究は、歴史的大事件や過去の偉人の業績をただ単に記録に留めたものにすぎなかったことが大きく、つまりそれは、従来の歴史研究は、「事実を収集するだけ」の経験的手法のみで歴史が語られていたことが大きかったため、と言われています。

実際の現場の一部では、このような手法は未だに残っているようですが、現代の歴史研究では、まず過去の偉人たちの実績やまき起こっていた人間事象の底流にある様々な傾向を分析し、そこに法則性を見出す。そこから仮設を立てて歴史的事件を検証しながら、その仮設の正当性を立証し、将来に備えて取るべき行動の指針を示す学問へと変貌を遂げてきた。

つまり、単に事実を収集するだけにとどまらず、合理的手法をも備え持った「科学」として認識され始めてきているということなのかも知れません。

上記、別の記事でも書きましたが、データ分析においても同様だと思っていて、単なるデータ(事実)の収集をしているだけでは何も意味はなくて、その実績値として目の前にある数字の向こう側にいる「人(お客さま)」の様々な傾向を分析して法則性を見出す。

同時進行で「行動」に対する仮設を立てて相対的な比較検証をしながら、その仮設という色眼鏡をかけた状態で正当性を立証し、PDCAを回していく。

歴史研究も実務でのデータ分析も、「何のために」分析を行い、その結果を「どう活用するのか」の具体的な意思と目的を持っておくことがとても大事だし、何より効率的だということですね。

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