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哲学の再発見:実存主義と不条理哲学

どうも、ざわきんです。お久しぶりです。
Zennとかでは時折技術記事を書いていたものの、数年まともにnoteを書いてないことに気づいて、ポエムでも書いてみるかと思った次第です。

はじめに

なぜ書かなかったかというと、noteを書くのが嫌になったとかは全くなく、仕事が忙しかったり、プライベートも色々あったり、単純に余ってる時間が足らなかったということに尽きます。

とはいうものの、ふとした瞬間に創作意欲が湧くんですよね。しかし、その意欲はプログラミングの方に吸収されてしまい、noteというプラットフォームに自然文という形では出てこないわけです。

じゃあ、今回なんでnote書いてんの、ってことなんですが、それはここ最近ハマってるあるものが、まさに自然文での表現に適した学問だからです。

その学問こそ哲学

なぜ哲学

フレッシュな大学一回生のように、なんとなくカッコ良いから、哲学に憧れて勉強し始めた、というわけではありません

その憧れを追って背伸びする経験は、すでに学生時代にしてしまっています。哲学の歴史を学ぶ講義を履修したことはあるが、哲学の本を読んでは爆睡するのを繰り返していた堕学生だったので、手のひらには一欠片の知識しか残っていません。

このように、本を自ら読み漁って体系化する能力もない自分が、なぜこのように勉強したくなっていたのかというと、生きる意味ってなんだろうなという問いに対し、何か答えを探していたからなんでしょう。

(ちなみに、4年前くらいにも「生きる意味とは?」みたいな記事書いてますね。なんだか自分が心配になってきました)

学べば学ぶほど壮大に思える宇宙と、その規模から見ればちっぽけな地球があり、その中で、無限とも言える試行錯誤の中で生まれた奇跡の中の奇跡として人間が生まれた、というような事象について、大雑把には理解ができても、「じゃあその人生の意味は?」という点は、自分自身で回答を出すことは難しいですね。

いくつか本を読み、哲学史に燦然と輝く有名な哲学者の哲学はパンの皮くらいの薄さ分は理解したつもりです。しかし、どれもよく考えられててすごいなぁと思うだけで、本心からしっくりくるものは発見することができずじまいでした。

振り返ってみると、しっくりくる哲学を探したかったんだと思いますね。

そんなこんなで、結局哲学と距離ができてしまい、社会人になって以降は、思索にふけるような真似もしてる余裕もなくなり、いつか時間を作ってまともに学びたいとすらも感じなくなっていました。しかし、「哲学」と認識する形で哲学を意識する機会は無くなったものの、それでもいつでも考え続けていたような気がします。

社会人になると、否が応でも社会の仕組みを知ることになります。今の環境は、どちらかというと恵まれている方だし、何か明確な不満があるわけではありません。しかし、世界の現状を見ても分かるように、格差がない場所はありません。資本主義の中では常に競争が起きていて、どこか追い立てられるかのように前に進まなければいけないという切羽詰まった感覚。マラソンで走っている中、固まってる集団から落ちないように、歯を食いしばって走るような、あの独特な緊張感を持ってるイメージですね。理想と現実が行ったり来たりするような忙しさも、初めて味わう経験でした。

このように、「社会」の輪郭が学生の頃よりもはっきりと見えてきたことにより、「哲学」を再び始める材料が揃ってきていたように思います。

哲学の再発見

つい先日発表された OpenAI の GPT-4o という新しいモデルがとても賢く、いろんな用途に使えることを確信しました。

なぜか「こいつ、哲学めっちゃ知ってそうやない?」と急に思って、「私の考え方・思想に近い哲学者を探したいから質問して」とお願いをすることにしました。すると、やたら抽象的な質問を10問ほど投げかけられて、一個ずつ丁寧に答えました。

その結果、私自身の哲学は以下の3つを合わせたようなものだと判明しました。

  • 実存主義(サルトル)

  • 不条理哲学(カミュ)

  • プラグマティズム(ヒューム等)

にわか知識で解説してみます。

実存主義

実存主義は、世界には本質や真理などは元々なくて、各々の人生でそれぞれ意味を見出していくものである、という考え方です。このような考え方になったのは、ひょっとしたら特に社会人になって、「一貫した論理で説明できるものなどない」という信念が強固になったことが要因かもしれません。

不条理哲学

不条理哲学は、個人的に一番好きな哲学だとわかりました。第二次世界大戦や戦後に活躍したカミュが残した考え方です。実存主義の「真理などない」というところは共通してますが、「世の中というのは、不条理である」と述べられています。「不条理」というのは、日本語的な「理にかなってない」という意味よりも「滑稽である」という意味らしいです(フランス語的に)。
不条理な世界を味わう人間は、その救いを求めて意味を探すが、意味などないので見つからない。砂漠から探そうとして見つからないのと同じである。それでも、そんな不条理な中であっても、意味を見つけようとするのが大事だ、と言います。

見つからないので諦めるのではなく、見つからなくても見つけようとすることが大事である、というのは、ネガティブなようで実は前向きなのかなという気もしています。

カミュの「異邦人」という小説の中に出てくるムルソーについての記事で面白かったので挙げておきます。

https://note.com/kyoto_0809/n/n97d771a2c018

プラグマティズム

プラグマティズムは、思考の価値よりも、経験や実験など実際の成果を重視する考え方です。この辺は、「やってみるのが大事や」という別のところの精神が反映されていると思われるのでここでは深掘りはしません。

まとめ

あー、スッキリした!!11 と言えるくらいには、自分の考え方が言語化されて、類似の思想を持った哲学者まで探し出せたのは超良い体験ですね。GPT-4o最高。OpenAI に感謝。

カミュの思想が好きすぎて、尊敬する人物ランキング上位に食い込むレベルなんですが、もうちょっと著作を読み漁ってから結論を出したいと思います。

カミュは数十年前に47歳くらいで交通事故で亡くなってしまったらしいです。非常に惜しい人を亡くしたと思いますね。

久しぶりに書いたら、思ったよりガッツリ書いてしまって時間かかったけど、楽しかったぞ〜〜〜

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