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僕「自分の代わりっていくらでもいるから生きている意味ってなくね?」

人間が生きている意味を考察しだしているWebエンジニアのざわほげです。(謎にサムネを作ってみた)

「社会の歯車」なんて言葉があります。社会全体を動かすために、献身的に働き過ぎて搾取される状態のことを揶揄したようなニュアンスで使われることが多いですね。

機械の内部には大量の歯車があります。もし、機械の中の歯車が一つ欠けていたら、その機械は正常に動くことができず、最悪の場合止まってしまいます。しかし、同じ形の歯車を別に用意すれば、再び動かすことができるようになります。つまり、歯車は代替可能な存在というわけです。

「社会の歯車」という言葉には、社会の中に組み込まれているということだけではなく、「代替可能な存在」の意味合いもあるのでしょう。

この「代替可能な存在」について考えてみることにします。

代替可能な存在とは?

世の中は残酷です。どんな凄い人でも、いずれは衰え死んでいきます。誰かが亡くなれば身の回りの人が悲しんだりしますし、有名人が亡くなると大きな影響を与えたりもします。しかし、多くの人にとっては、しばらく経てばいつも通りの日常に戻ります。人間には「忘却」と呼ばれる素晴らしい能力があるからです。

社会の持つ復元力とは、とても力強くたくましいものです。どれだけ大きな損失を持ったとしても、うまいこと足りないところを補う働きが生まれます。

これは、社会だけの話ではなく、企業についても似たことを言うことができます。業務遂行のためにかけがえがないと思っていた人が退職しても、残りの人間がその人の分を補うことで、以前のような業務を進めることができたりします。もちろん、倒産という限界はありますが、その限界に達しないならば、吸収可能な変動に過ぎないわけです。

全ての人間は「代替可能な存在」である

極論を言えば、私は、全ての人間は「代替可能な存在」だと思います。

仮に、この記事を読んでくれているあなたがこの世からいなくなったとしても、残念なことに社会は回っていくことでしょう。

大統領だとか、首相だとか、影響力がある人物が亡くなれば、確かに影響はあるものの、代わりの人物がその役割を継ぎ、別の形で社会は続いていきます。一般人レベルで考えると、なおのことそうでしょう。

逆に言えば、ある特定の個人の生死だけで社会をぶっこわせるほど、社会はやわじゃない、と言えます。それだけ、社会は個人の生死に対して堅牢です。これだけ堅牢なのも、「人間はいずれ死ぬ」という究極の事実を根底にして社会の仕組みが作られているからではないでしょうか。

と、ここまで考えてみて、私はふと思いました。

「『私』という代替可能な存在が生きている意味とはなんだろう?」

世界をほんのちょっとでも前に進める

「社会の歯車」となれば、現状維持は可能です。後退しないためには現状維持をしてくれる存在はとても重要です。

しかし、私は、ほんのちょっとだけでも良いから世界を良くできたと納得できてから死にたいみたいなところありますね。

こんなことを思う要因は、科学史を学んできたことが大きいです。科学は一部の天才が一気に進めるものだと考えられがちですが、そんなものは一握りで、ほとんどの学問は、無名の誰かが「ほんの少し」前に進めることをひたすら繰り返していくことで発展してきました

この名前も知らない人達のことを、私は尊敬しています。

自分も、形はどうあれ、社会をプラスにわずかでも動かすことができたら本望です。

最近の気付き:結局日々の積み重ねっしょ。。

私は今まで、いろんな歯車になれるようにスキルを身に付けて、いつかは自分なりの新しい歯車を作り出したい、と考えてきました。

しかし、私が気付いたのは、新しい形の歯車とは、ある日突然生まれるような一朝一夕のものではなく、日々の積み重ねから生まれるものだということです。

延長線上にないものを作ろうとしても、急にできるはずもなく、日々少しずつ作っていくことしかできません。例えば、新しいブランドがある日突然生まれるなんてことはなく、過去の蓄積が必要になります

もちろん、まずは既存の歯車に取って代われるような存在になるために努力することは、短期的・中期的な戦略としては有効に思えます。しかし、いつまでもそれを続けていると、単なる「代替可能な存在」になってしまいます。こうなるとつまらない。

さいごに

「生きている意味」は人から与えられるものではなく、自分の力で見出していくものです。社会の中での役割があるかないかで生きる意味を見失う必要なんてないように思えます。

ただ、そのようなほんとうの自由を目の前にすると、どうすれば良いかわからなくなります。あまりに漠然とした状況だと思考停止してしまうため、ほんの少しでも生きるための指針となるのであれば、「社会の歯車」になるのもありなのかもしれません。

自分なりの生き方ができる余裕ができてきたら、少し社会を進めるような新しい「社会の歯車」を作れたら面白そうです。

ここまで駄文を読んでいただきありがとうございました。

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