【生きてるだけで、愛】感想文
邦画のいいとこって、こういうところだよなと思った。平凡でありふれた日常にもドラマがあるとはよく言うけど、私たちが生きているのは日常だけだし、その全ては劇的なのだと思い出した。
寧子の心の繊細な動きを、洋画は多分切り取れない。
フィルムの質感が本当に美しい映画。独特のカメラワークが切り取る映像の中で物語は淡々と進むが、見終わってからじわじわ心にくる(これは勧めてくれた友達が言っていた)
普通に生きられない自分がもどかしい。
それでも必死に頑張って頑張って、
うまくやっていたと思うのに、プツリと糸が切れるようになってしまう瞬間がある。
そのきっかけは、本当に微細な違和感や気まずさ。
「自分の何かが、みんなに見抜かれちゃう」
時間をかけてじっとりと生活感を表現する邦画でしか表現できない感覚だと思った。
「私、みんなに見つかっちゃう」
「自分の何かが、みんなに見抜かれちゃう」
大人になる過程で普通は遠ざける事ができるようになる日常の感覚に、寧子は敏感なままなのだろうと思う。
繊細すぎて、他人との関わりにも、自分自身の心の動きにも、日常にも、慣れることができない。それがそのまま彼女の生きづらさなのだと思った。
その心は、自分も他人も傷つけるほど、危うく鋭く揺らぐけど、磨耗していないから美しい。
自らを縛るもの全てを脱ぎ捨てて、力一杯コンクリートを蹴る。
揺れる青いスカートに、私もまた目を引かれた。
誰かにわかって欲しい、わかり合いたいという言葉にならない叫びが痛い。
生きることは難しい。
生きてるだけで疲れる。
生きてるだけで、
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