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世界で一番小さな居場所

椅子は世界で一番小さな居場所、
どんな時もそっと支え必ず私を受け入れてくれる。


深夜の起業ノート

夜な夜な布団の中でノートを広げながら考える。
「いつ、会社を辞めるのか」

27歳で大学時代からお世話になっていた会社の仕事を辞めて、新たに目指した「椅子張り」という仕事。
新しいものを作り続けたり生み出し続けるものづくりではない、
モノをつくる仕事がしたかった。
そして、自分の工房を持ちたかった。

「椅子を張り替える」という仕事があることを知った時は、
これだ!と思った。

28歳はバイトを掛け持ちしてひたすらお金を貯めた。
朝は市場で、夜は居酒屋で。

29歳で椅子張り会社が運営する専門学校に入り、バイトの掛け持ちを続けながら、椅子やソファを張り替える術を学び、二年間勉強し卒業したらすぐに独立するつもりだった。

専門学校も独立を応援していたし、卒業してすぐに独立する人ももちろんいたけれど、その仕事を知れば知るほど、独り立ちするには自分はまだまだ足りないと思った。
その業界を知るべきかと人生で初めての就職活動っぽいこともしてみたけれど、なかなかピンとこない。
とりあえず、やってみたかったことは全てやってみようと、行ってみたかった海外旅行に行く。その先のイギリスの工房で約2か月間「椅子張り」のワークショップを受けた。

日本に帰ってきて、長野県にある実家で、「さあどうするかな…」と思っていると、卒業した専門学校を運営している椅子張り会社の社長が4時間かけて私を迎えに来た。
「京都へ戻ってこい」と。

そのまま、半ば連れていかれるようにして約3年、私は今、京都のアパートで起業ノートを広げていた。
社長もわかっていたし、会社に勤めると決めた時に私も決めていた。

「三年で必ず独立する」

朝から朝まで働いた。
難しいことも、面倒くさいことも、全部やる!って決めた。

「夢」と「目標」の違い

勤めてから3年目の年が明けて、
今まで夢物語のように「地元へ帰って独立するんだ」と言いふらしていた、その期限が迫っていることにドキドキし始めた。

本当に会社を辞めるのか?
本当に慣れ親しんだ京都を離れるのか?
本当に一人でやっていくのか?

けれど、そんな疑問を今さら考えるのはやめた。
「決して目標を見失わない!」と決めていたから、再度京都へ引っ越した時アパートにベッドは買わなかった。
3年間、フローリングの床に布団を敷いて寝ていた。
洗濯機だけ買って、冷蔵庫は先輩に頂いたもの。
それ以外はずっと何も増やさなかった。

目標とは何か?
言葉で説明するのは難しいけれど、幼いころから感じてきたこと、アルバイトも含めて色んな仕事を体験して実感したこと、
途方に暮れて人生をあきらめかけた時にやっぱり思ったこと、
そして見出した今、生きているということ。
明日を生きるということ。

さて、何から手をつけるべきなのだろうか…

先ずは、
会社を辞める日       を決めた。
自分の工房をオープンする日 を決めた。
アパートを引っ越す日    を決めた。

そうやって日にちを決めて逆算すると、足りてない色々なものが見えてきた。

技術や知識、お金や、場所…etc.

もろもろの課題を達成するべくより働き、そして場所を探しを始めた。
工房を開ける場所、
どんなお店でもそうだと思うけれど、”条件に見合った場所”というものはそうホイホイと見つかるわけではない。

立地、広さ、家賃…etc.

生まれた場所と縛り

「何かあったら私たちは包丁持って飛んでくからね!」

仕事や人間関係に苦しんでいた時期、
詳しい事は話さなかったけど、そう電話口でいった母の言葉にジンとして、自分で何とかするんだと思った。

世にいう仲良し家族ではなかったし、引っ越し組の私にとって地元はいわゆる「ふるさと」と呼べるような場所ではなかった。

「もう戻らない」

そう決めて地元を出たんだ!

でも…、
ある程度年齢を重ねた時、
きっと死ぬまで、年老いても両親は私の味方をしてくれるのだろうと思ったら、どんどん年老いていく両親の、もう少し近くにいるべきだと思い地元へ帰って独立するのだと決めた。

手に職があれば、どこでだって自分らしく生きていける。

早速、仕事から帰った深夜にインターネットで検索したりと、地元での場所探しを始める。
当時(2015年頃)は、ちょうど、「起業」「空き家」「移住」という言葉を聞き始めた頃だった。
地元の片田舎で、そんな活動を支援する団体があることを知り、幼い頃に栄えていた商店街が時代と共に廃れていく中で、再生を試みる素晴らしい活動だと思いメッセージを送る。場所を探しています、と。
すると数か月して、場所の候補があります、と返信が来る。
会社の長期休みに実家へ帰り、物件を見たいと話を聞くことに。

私は少し焦っていたのかもしれない。
やると決めた計画通りに物事を進めていかなければならないと。
早く決断しなければ、会社を辞める日が迫っている、と。

物件を見たいから地元に帰ったわけだけれど、
外観しか見せて貰えず、何故か別のところへつれていかれた。
私はなぜ、近くの映画館でコーヒーの講習会に参加しているのだろうか…?

もっと心に余裕があれば、
ああこんな街になったんだな、こんな人達がいるんだな、
ここでどういう戦略を立てていけるかな?
ここで本当に営業はうまくいくだろうか?
そんなことも考えられたかもしれない。

とりあえず、期限が迫っている。
自分との約束の三年という期限が!
会社を辞めるまでに、次の見通しを立てておきたい。
そんな一心だった。

後々、色々まわってわかったことがある。
誰も「椅子張り」という仕事があることを知らなかったのだ。
どんな仕事なのか、
どんなふうに仕事をしているのか、
何が必要なのか、
どういったスペースでやるのか、
どういった人がお客さんとしてくるのか。
今思えば、皆んな私の事を作家だと思っていたかもしれない。
椅子を作る人。
しかも女性、小さくやるんだろう…と。

けれど、私は会社でやっていた通りに出来るものだと思っていた。
ひとりでやるけど、大きなソファだって、企業(工務店・家具屋・飲食店・施設…etc.)の仕事だって来るもの拒まず、バンバンやる!

もっともっと自分を主張出来ていたら、
少なくとも、私がするのはこんな仕事だと説明できる"何か"を持っていたら、
もっとじっくりと話し合えたかもしれない。
創造的な仕事がしたいわけじゃなくて、修理がしたいのだ。
それも椅子やソファに特化した修理が。

仕事さえ始めれば、みんなにわかってもらえるはず。
今までやって来た仕事なんだから、何とかなるはずだ。
頑張れば、必ず上手く行く。
今なんだかチグハグな感じがするのは、私の努力が足りないから。
これだけ皆んなを巻き込んで興味を持って仲間に入れてくれようとしているのだから、今さら後には引けない。

実際、一軒家で営業している同業の友人だっているし、
自宅を改装して工房スペースを作って営業している先輩たちもいる。
ここで、出来ないことはない。
まだ、家の中を見せてもらってないけど、改装してもいいって、好きに使っていいって話だし、家賃は安いし、実家からも近い、商店街や学校、役場、駅もすぐ近く。
お客さんに場所を説明するにはわかりやすい場所かもしれない。
仕事が始められるようにさえなれば、営業に回ったりして、きっと何とかなる!

私は予定通り、会社を辞めた。

もっともっと頑張れますか?

地元へ戻り、予定の物件を工房にするべく取り組み始める。
予定の物件は、ごくごく普通の昭和の二階建て一軒家だった。家賃は1万円。破格の値段だ。

不動産屋が仲介しているわけではなかったので、契約書を作り諸々大家さんに確認する。

街おこしの方が作ってくれた改装見積は100万円ちかく。
事業補助受ければいいから!と言われる。
街おこしの方に大家さんにも立ち会ってもらった方がいいから、と提案し予定を組む。ボランティアを集めてくれ、トラックを出してくれ、
大量の荷物に覆われていた予定の家を、ボランティアの方々と片付けた。
処分する大量の荷物、古い畳・・・
残りは大家さんにみてもらって…それには少し時間がかかるそうなので、しばらく待機。

「好きなようにしてくれていいから」

そう、大家さんは言ってくれていたように思う。
私は焦っていた。
早く仕事を始めなければ!
収入もないし、仕事をしなければわかってもらう事が出来ない。
場所を整えなければ、仕事を貰いに営業にもいけない。
家の中はまだ大家さんの荷物があるから、
少しでも進められること…
ご近所へのご挨拶と、
そうだ!お庭も草むしりしなければ!

せっせと草むしりをしたある日、
どうやらそこには高山植物があったらしく、
私はそれを抜いてしまったようだ。

知らなかった…

必死に謝ったけれど、大家さんの怒りは解けず、
「正直いって、あなたには貸したくない」
と言われる。

ショックだった。
私が間違ったことをしたかもしれない、
それでも、もう会社も辞めてきたし、
皆んなで片付けもしたし、
どうしていいか全くわからなくなってしまった。

街おこしの団体の方以外に、大家さんと話が出来るという役場の方にも間に入ってもらって、説得を試みる。

暗中模索の日々。

そんな時、街おこしの団体の方の一人、Tさんが、そろそろ改装の準備で大工さんを手配しなくてはならないけれど、どうする?と連絡をくれる。
ここまで手をつけて、でも大家さんは貸したくないと言っているし、

100万円。

もしかしたらもっとかかるかもしれない…
仕事だって、始めてすぐに軌道にのるわけでもないだろうし、
生活だってあるし、
補助金だって、申請したからって通るかもわからないし、通っても現金が入ってくるのはだいぶ先になるだろう…

どうしたら、いいのだろう?

100万円を貯めるために、どれだけやってきたか。手を動かす仕事、製造系の仕事の給料は皆が想像するより遥かに低い。ボーナスなんてもらったことはない。
当時は働き方改革なんてなかったから、
朝から朝まで働いて、お風呂に入るだけに家に帰って、すぐ出社。
そうやって貯めてきたお金。

頑張りが足りない?
誠意が足りない?

もっともっと…私は何をすればいいのだろう?

神様は知っていた??

その頃、たまたま埼玉で同職の会社に勤めていた友人が、長野県へ遊びに来たいという。
「工房、見たいです。」と。

今、ちょっとうまくいってないんだよね…
ここじゃなくて、もっと観光できるところに行こうよ。と、
善光寺さんへお詣りに。
何故か、その時、友人がしきりにおみくじを引こうというので、
「えー、今きっと「凶」しかでないよ・・・」
と、私はそう言いつつも、友人のゴリ押しにおみくじを引いた。

あの時、何で、おみくじなんて引こうと言ったのだろうか?
彼の、”神社やお寺に行ったら必ず引く”っていう決まりだろうか?
それとも、困っている私をおみくじで慰めたかったのだろうか?
「凶」なんて本当に出ると、だれも思わないものね。

案の定とでもいうのだろうか、
人生で初めての「凶」。

「ほら!凶じゃん!!」

友人の困った顔が忘れられない。
「これ以上、悪いことは無いってことですよ!これから良くなるってことです。」
必死で私を慰める友人に、何だかおかしくて救われた。
そして、やっぱり今「凶」なんだ、と実感する。

このまま続けても「凶」。
何かを変えなければ、やはり「凶」。

神様は知っていたのか、
私に伝えてくれたのか、
あれ以来、怖くておみくじが引けなくなってしまった。
「大吉」が出たら、これ以上ないってこと・・・?

人生で初めての「負け」

とりあえず話をしなければ、とTさんのアトリエへ行く。
豆を挽いて入れてくれたコーヒーを飲みながら、
どうしたらいいかと思っている私に、Tさんがポツリと言う。
「僕はやめた方がいいと思うんだよね、あそこ借りるの」
ずっとずっと見ないようにしてきた私の本当の気持ち。

あきらめたくはない!
だって世の中の多くの人は「ここであきらめるな!」って言うじゃん。
でも、きっと、ここで押し切ってもうまくいかないのは、薄々気がついていた。
あの時、様々なしがらみの中で、正直な意見を言ってくれたTさんには、本当に感謝している。
あの時、そう言ってもらえなかったら、「やめる」という選択肢に気づくことは出来なかったかもしれない。

その晩、役場の方に電話をした。
なぜか携帯電話の充電があと4%しかない、といわれ話を急かされる。
単刀直入に、「やめたい」と伝えた。

「あの場所を借りるのはやめたい」

負けた…
もう頑張れない…
これで、全て失った…

何のために、今まで・・・
何のために、こんなにも・・・

その後、役場の方、街おこしの方、Tさん、私で話し合いをした。
何故か街おこしの方が泣いている。
役場の方に「○○さん、泣いちゃったじゃない」、と言われ歯を食いしばる。テーブルを見つめたまま、
「あそこを借りるのはやめます」
そういうのが精一杯だった。

…なぜ、あなたが泣くの?

それからすぐに、借りるつもりで用意し置いていたものをすべて撤去し、自分の物を片付け終わった報告をし、あとは役場の方にお願いした。
大家さんには会わなくていいと言われた。

塞ぎ込んでも仕方ない、
目標を見失わないって決めたじゃないか!
片っ端から不動産屋を回った。

「工房に出来る場所を借りたい」

大体が門前払いだった。
アトリエにしたいって人と、あと外国人には大家さんは借したがらないと、とある不動産屋が教えてくれる。
それでも今、自分がやらなきゃならないことは、場所を見つけること。
地図アプリから見つけた不動産屋すべてを回ると決めた。
通える距離で、とりあえず1番遠くから。
まずは諏訪大社にお詣りを。

「いい物件が見つかりますように」

すると、何と言うことでしょう!
大体が門前払いだった不動産屋が、
ある町で、
「うちにはそういう物件ないけど、役場には行ったか?」
空き家バンクがあるから行ってみな、と。
早速その町の役場へ行くと、今まで誰にも見てもらえなかったこれまでやってきた仕事の資料を「ぜひ見せてください」と言う。
今は物件ないけれど、空きが出たら連絡します、と。
通りがかりにもう一件不動産屋があったので寄ってみると、

「おお、あんたかい!役場から聞いてるよ。」

正直、ぶったまげました。
小さい町ではあるけれど、情報が回ることも、その早さにもびっくりしていると、
公開していない物件だけど、と提案してくれた物件が、今。
予定していた物件を借りるのをやめた日から、約1ヶ月、
会社を辞めてから、約2ヶ月後の事でした。


あれから、丸っと7年が過ぎた。

7年前、その町にある諏訪大社で、場所が整ったので、今度は

「仕事が来ますように!」

とお詣りすると、偶然が重なり、
当時、週一で新聞に挟まる地方紙の記事の見出し一面に載ることになり、
発刊されたその日から問い合わせの電話が鳴り続けた。
その場所を借りて2ヶ月後の事だった。

失った、と思ったらその倍以上のものが一気に飛び込んできた。
正直、本当に驚いた。
あんなに仕事が出来るかどうか、
もしかしたらもう椅子張りの仕事は出来ないんじゃないか、
と不安でいっぱいだったのに。

物件に出会うことも、
新聞の一面に出させてもらえたことも、
本当に偶然でしかない。
何かを知っていてこの町へ来たわけではない。
この町が、こういうことにとても力を入れていた町だったということは、開業して後々知ることになる。

「選択」とは何か

あの時、「やめます」と言っていなかったら…

こんな自由に仕事が出来ていなかったかもしれない。
自営業者の多いこの町で、気が合う仲間が出来て、
あなたは素敵な仕事をしているとお客さんにも言ってもらえ、
県内に限らず、近隣県からもお客さんが来てくれる。
まさか、こんな風に働いていけるとは思っていなかった。

人にはキャパシティがある。
何かを捨てなければ、新しい何かは入ってこない。
「選択」とは、
何かを選び取ることだけではなく、切り捨てあきらめることもまた「選択」なのだ。

これは私にとっての真実である。
でも、あの時のメンバーにとって、この出来事がどう映っていたのかは全くわからない。
私の見落としていた真実の方が、もしかしたら、私が語る真実よりも大きいかもしれない。
それでも今、新天地で、自分らしく生きていけるのは、あの時あきらめたからであることは間違いない。
「ピンチはチャンス」というけれど、本当のピンチは間違いなくこれ以上押してもダメだというサインなのだと思う。

そして、あの場所を借りるのをやめたいと言った時、
色々積み上げてきたものが、全て崩れたのだと思っていたけれど、

でも、今思えば、
私はあの時、何も失わなかった。
必死で学び続けた技術も、
汗水流して貯めたお金も、
ずっとずっと応援し続けてくれている友人も。


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