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何でもない日が続けばいいのよ

 18年と少しの時間を過ごしていた街は、半年くらいでは目に見える程変わってはいなかった。月一で通ってた歯医者の近くにあった家具量販店がスギ薬局になってたとか、商店街にチョコレートの店が入っていたとか、その程度。でも、寧ろその方が嬉しかった。何もないことが魅力って言ってあげたい。

 8月終わり、名古屋から富山まで在来線で4時間。ずっと川沿いを走る電車に揺られて、車窓の外を眺めていた。思い返せば生活の中で田園風景を目に入れることがなかったし、電車がどこかすらよく分からない農山村っぽい場所に入るとそれだけで安心感で泣きそうになった。名古屋での生活には少しずつ慣れてきても、本当にどうでもいいような過去への愛着(執着?)が抜けなくて、あの頃に戻れたらなとかそんなことばかり過ぎっていた。別に誰かにとっては何も特別じゃないはずの毎日なのにね。

 旧友たちの帰省のタイミングと悉く被っていなかったので、楽しみにしていたほどは人に会えず、その分、一人きりで自分の足蹠を辿ってみたくなった。高校から歯医者までの道とか、その途中にあるいつも参考書を買っていた書店とか、自習室で疲れたら外の空気を吸いたくて偶に歩いていたら国道沿いとか。どれもこれも、自分にとってのこれまでにもこれからにも恐らく何の意味も持ってはいないけど、でも手放してしまうとどうやったって取りに帰れなくて、大事にしまっておきたかった。

 あの頃好きだった曲を聴きながら、あの頃身を置いていた場所を歩いているだけで、一つ一つの楽曲と風景に括り付けられていた感情が解けて溢れ返ってくる。多分誰だってそうなんだろうけと、自分は人以上に"思い出補正"的なあれを受け付けやすいみたいで、何もない街が何もないままあってくれることに喜びを感じてしまうくらいだった。そうしていればあの頃に戻れる気がしてくるけど、でも手を伸ばせば届きそうな距離にあるように思えるからこそ、もう二度とあの頃には戻れないんだって当たり前のことを実感できてしまって余計な寂しさも感じてしまった。

 あの頃見えていたものなんてどれをとっても別にそんなに綺麗じゃないけど、それでもやっぱり、あの頃に帰りたくなったりするのは、その"何でもない日"の中に、今よりも確かな幸せを感じていたからなのだろう。いつか行き止まった先で振り返ってそう思えるような日々を送ってみたい。

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