見出し画像

12/05の日記 (ひじき)

最近もう本当に書くことがなくて、というか最近じゃなくてずっとか。なので昨日に引き続き、いまnoteがやっている「#熟成下書き」に乗っかって今日も書こう。

熟成といえば思いつくのはカレーだとか肉だとか、要は手間をかけて仕込んだものを、一旦寝かしたりコトコトやって時間をかけて、さぁやっと美味しくいただけます!というものだろう。

だから文章にしても、それなりに書き綴られていて、あとはオチがつくのを待っている状態だったり、料理でいえば最後に塩や胡椒で味を調えてハイおしまい召し上がれ!というステイタスのものが、熟成される資格をもった文章、下書きと呼べる。

それなりに纏まっているものを、すこし時間が経った後に読み返し、修正を加えたりあるいはそのまま出してみたり。このときの自分は、こんなことを考えていたのか、なるほど、でも今の自分だとこんな風にも考えられるんじゃないか、等など。そう考えると「#熟成下書き」のハッシュタグはとってもいい企画だなぁ。

そんなことを考えながら、僕は今日書くネタを探すべく、10/14付の下書きを開いてみる。書かれていた内容が、これだ。


ひじきってちゃんとしてる。


これ一行だ。絶望した。熟成されようもない。何が嬉しくてこんな一行を二ヶ月もあたためていたのか。料理でいえばせいぜい「あ、カレー食べたい」、と思った段階であり、野菜を切るどころか材料の買出しも始まっていない。そして数ヶ月前に自分が、「ひじきってちゃんとしてる」と思ったシチュエーションすら思い出せない。

僕は誰に何を伝えてたくて「ひじきってちゃんとしてる」と書いたのだろうか。でもまぁ、言いたいこともわからなくもない。晩御飯のお鉢にひじきが入っていると、なんかちゃんとしてるなぁ、と思う。なんとなく栄養バランスとってる感がある。でも僕はそんなことが書きたかったのだろうか。

もしかしたら「ひじきって、シャン!としている」の間違いではないか。でもひじきがシャン!なんて意味わからない。シャンとしてたらひじきじゃないじゃーん。

もしかしたら「肘切ってしゅんとしている」と書きたかったのでないか。肘切ってしゅんとしている奴なんて相当お調子者だ。おそらくその前に結構はしゃいじゃったのだろう、そして肘なんて滅多に切らないところを切ってしまった。しゅん…。

ちょっと上目線だけど、「ひできってちゃんとしている」だったかもしれない。そう思って西城秀樹さんも今年亡くなられたのかぁと思い出して少し悲しくなる。今年は若い人が亡くなられるね。

「ひじきちゃんって、知ってる?」とか「羊とキジは、ちゃんこしている」とかいろいろ考えてみたけど、真意は皆目検討もつかない。ここまでどうでもいいことを書いて、これを熟成させても何も生まれてこないだろうなぁ、そう思っていつも通り誤字脱字もチェックせずに投稿しちゃう。今日いちにち分のnote書けただけで、熟成した甲斐があったなぁ。ひじきってちゃんとしてる。


この記事が参加している募集

熟成下書き

お蕎麦屋さん開きたい。