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私が傘を用意した時にだけ雨を降らせてくれ


初めての挨拶など、何か話題に困ったら天気の話をするのが定番だと思う。
なので天気の話と私の話を少し。

天気予報ではずっと曇りだと言っていた。
雨は降っても小雨程度だと。
外を見ると確かに曇ってはいるが、隙間から青色が見える。


そうして傘を持たずに出かけた日に限って大雨。
それはそれはバケツをひっくり返したという言葉が似合うほどの。


何故なのか。
小雨程度ではなかったのか。
軽く濡れる心の準備はできてはいたが、ここまで濡れる心の準備は出来ていなかったぞ。


こういう経験は生きていると何度も起こる。
そう。何度も何度も何度も。
それは腹立たしく、これはもしやイジメなのではと思うほど。



似たようなことは、私とパートナー間でもある。


よく「悪いニュースと良いニュースどっちから聞きたい?」という質問がある。
私の偏見にはなるが、こういう場合は大抵どちらも大したニュースではない。
もし、悪い方のニュースが本当に悪いニュースであっても、だいたいは解決策がもう用意されているものである。


そういう勝手な偏見の元、私は彼が言う「大切な話」が私にとってさほど大きなことではないと、アレの話か?コレの話か?と予測を立てていた。
彼は2人で決めたい事はだいたい「大切な話」と切り出すので軽い気持ちで話を聞いていた。


そうするとどうだ。
大事ではないか。
上で使った表現をするのであれば、大雨。
それはそれはバケツをひっくり返したほどの。


こういう経験は生きていると何度か体験するのだろう。
数は少なくとも何度か。
それは仕方なく、どうしようもない事かもしれない。

天気と恋愛または友人関係はにていると思う。
"予測はできるが確定ではない"という点はとても。
予測が外れると結構大変な思いをしてしまうところなど似ているのではないか。


本当に困りものだ。
予測したものが当たるならば私の心は穏やかでいられるのに何故こうも不確定なものが多いのか。

それが腹立たしくもあり、面白くも愛おしくもあるのかもしれない。


しかし、私の心臓と悪いので、私が傘を用意してる時。
私の心が元気で準備が出来ている時に雨が降って欲しいものだ。


本日の天気。
朝は曇り。
雨が降りそうな天気である。


そしてお昼。
日差しがとても強い。
晴れである。

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