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HSP生きてます。

敏感で繊細。


私は小さな頃から色々なことに対して敏感だ。
環境、自分の体調や気分、天候、人とのコミュニケーション...今振り返っても、そして今現在も人一倍敏感である。
単に「敏感」と言われても、私以外の人からしたら「なにが?」「どんなふうに?」と思うだろう。

例えば、私は幼い頃に久々に会う身内を見てすら泣く極度の人見知りだった。勿論赤の他人なんてもってのほか。児童館でも公園でも行事でも、とにかく人のいる場所に行くと泣いていた。

そして私は環境の変化にめっぽう弱い。
今思えばそれは、自分が保育園児だった頃からだったと思う。
私は毎日保育園バスで登園をしていた。保育園バスは周期的に一緒に乗車する先生が変わる。あまり大きくなく、先生の異動も殆どない地方田舎の私立保育園に通っていたため、園内の保育士は皆顔も名前も憶えていて親しみやすかった。

私は毎朝バスで乗車する先生に「今日は○○先生(担任の保育士)いる?」と聞いていた。毎朝毎朝、保育園に着くまでの短い距離の間に必ず質問するのだ。そんなの着いてから自分で確かめればいい、そんなに担任の保育士が好きなのか、と思われていたことだろう。

そこで「いるよ」と言われれば何一つ問題はない。しかし「○○先生今日はいないよ」「今週はいないよ」と言われた時が問題なのである。

「○○先生いないの!?」「どうしようどうしよう」「代わりの先生誰だろう」「今日一日行くのが嫌になった」
一瞬で脳内がこうなる。駄々っ子ではなかったので言葉や態度には出さず、勿論バスに乗っているので自力で帰ることもせず、ただひたすら脳内でパニックを起こす。
元々人見知りで友達が全然いなかったこともあるが、先生が一日でも変わること、そしてそれを前もって言われていない(いきなり言われる/知る)ことが私にとって本当にストレスだった。

小学校に入った時も、卒園式や入学式という区切りの行事はあったものの、環境の変化が大きすぎて入学したての頃は大泣きしながら通っていた。保育園から小学校に上がり、劇的に人数が増えること、保育園とは違った騒がしさがあること、上級生とのペア活動、今までなかったルールや時間の縛り。。。人見知りと神経質な性格が合わさり、家から教室に入るまで永遠に泣いていた。路線バスを利用して通学をしていたので、バスの車内で知らない優しい人から慰められたこともある。(今でも感謝している)

ただ、慣れてしまえば平気なのだ。数か月たてば泣かずに通えた。不器用なりに友達もできた。大きな環境変化はクラス替えや入試、入学、卒業と多々あったが慣れてしまえば平気だった。ただ、慣れるのに人より時間がかかる。人と比べて適応力が高くないので、その場その場に対応、適応するのが大変。そして遅い。

今でもそれは変わっていない。場所や環境、唐突な予定変更には本当に対応できない。イライラするし、気持ちが追い付かないし、精神的にも体力的にも負担が掛かる。
だから唐突に五分後の予定が変わること、思った以上に大きな環境変化があること等を嫌っている。

ストレス溜めて(物理的に)禿げた。

私はあまり人に愚痴をこぼさない。
プライドが謎に高いこともあるが、くだらない自己中心的な私の愚痴を聞かされる相手の気持ちを考えるとなかなか言えない。

そして私の親が「愚痴や悪口は人に言っていつ本人にバレるかわからない。だから、家以外では言わないようにしなさい」という人だった。

だから私は流暢にそれを守り、中高まで殆ど学校や友達の前で人の愚痴や悪口を言わず、家で全てをぶちまけていた。

そのせいで友達に初めて愚痴を溢した時、「あなたって愚痴とかいうんだね」と言われたほどだ。

これも考えすぎてしまう敏感で神経質な性質のせいだとおもっているが、ついに体にまで影響が出てしまった。

高校に入って一年過ぎくらいに、物理的に禿げた。
しかも、2回も!!!
なんかもうここまでくると、自分で自分が心配になってくる。
病院に行ったら医師に「円形脱毛症だ」と言われた。よく聞くやつ、と思ったのは言うまでもない。医師から円形のことよりストレス的なことを何度も心配され、一方の私は何が原因かわからなかった。

今思えば、周りの環境が大きく変わっていた時期だった。また、意見が合わない先生と言い合いや意見のすれ違いが発生し、私や私の周りの友人がその先生に怒り狂っていた時期でもあった。それが知らないうちに体や気持ちに負荷をかけ、体に出てしまったのだと思う。

溜め込むことも、溜め込んだ故に涙が止まらなくなって自暴自棄になることもあったが、自分の性質の悪影響が目に見えて出るのは初めてだった。

診断されたわけじゃない。
でも、あまりに当てはまりすぎていた。

「HSP」という言葉を知ったきっかけを、私は覚えていない。

だが、自分が精神的にやられてしまっていた時に、「自分は鬱病か何かではないだろうか」と思った時期があった。

定期的に周りや自分のことで病み、適応能力が低い。
周りの人の倍以上涙もろく、人が気にしないところで極端に気にして緊張する。
物に対する執着は昔から半端なかったし、人が怒られている現場で思わず泣いてしまったこともある。

周りの人と比べて、なんだか自分が極端に繊細な気がした。

調べていくうちに、「HSP」にたどり着いた。
発達障害や心理的な病気とは違う、生まれ持った性質。

5人に1人と多くはない繊細さんが世界に存在している。
そしてそれらの性質が、驚くほど私に当てはまっていた。

「あぁこれだ」と思った。

心療内科や精神科には行っていない。
いつか行きたいとは思っているが、病気ではないから診断結果が曖昧になるのではないかと思っている。
また、もし自分がHSPじゃないと診断されたら、また自分が何なのか迷うかもしれないい。それは嫌だった。

今は自分を受け入れる。

HSPさん向けのストレス解消法や、職種の選び方、あるあるについて書かれた記事やInstagramの投稿を最近よく見ている。

役に立つ情報が溢れていて、自分は今のままでいいと思えた。

相変わらず今も私は繊細なままで、適応力が低く、感情や天気に左右されやすい。

しかし、努力しても治るものではないし、性格だと思っている。

そして最近自分は、HSPの中でもHSS型ではないかと思うようになった。

HSS型についても書きたいが、これ以上書くとより長文になりそうなのでまた別の機会に。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
拙い文章ですが、ここで締めさせていただきます。




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