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グーニーズはいつだって最高さ

今日は家にいると決めこんでパンを焼きグーニーズを見る、その予定であったのだがネットの調子がなにやら悪く、いいところでぴたっと止まったりするのに嫌気がさし、また、家にいるのをいいことに家にある食べ物にやたら手が伸びるので、パンが焼き上がったあと夕方に足がかかりそうな時間から奮起して出かける。

たべすぎなので、歩こうと決意して川沿いを北上、ずんずん。
途中、そういや知っている方が出店していると何かで見たな、長らくご挨拶できてないからどやろか、緊張するけど、とその前を通りかかると、えらい店の外までオシャレな人たちがごったがえしていたので恐れ慄いて通り過ぎる、やはりスクールカーストが己の足を引っ張る、オシャレなところは居心地が悪い。

友人と連絡を取り合って自分の今いる場所を伝えたら、え、そんなところまで歩いて?あなたの家から?遠いのに?と驚かれるところまで行った、でもなんのことはない、以前休みなく7時間歩き続けたこともあるホモサピ、それがわたしである。
しかし、歩きだというのにショッピングモールでガラスの耐熱ボウルやトマト缶、キャベツなど重いもんばかりを買い込む、腕がちぎれそうになるがこれも運動、これもまた一興、は?一興なわけないやんあほとちがうか、後でバス乗るし、と歩く、のしのし。
暑くなったので歩きつつアイスを食べる、ジャイアントコーン、えらい口の周りがチョコで汚れてそうな気はするがやむなし、あれはそういう食べもんや、こっちを齧ればそっちのチョコがてこの原理で持ち上がって鼻付近を濡らしたりする食べもん。

あまりの荷物の重さにぼんやりとして人生とかについて考えていたら、そっちのほうが重いわ、はは、はは、はは、とか言うはめに。
気づいたらバス停もない通りをずっと歩いており帰宅、およそ3.5時間、17000歩も歩きましたとさ。
いやあ、それにしてもあそこのファミマ潰れてたん驚いたなあ。

家に帰ってから念願のグーニーズ見る、人生でおそらく、いちばんたくさん見ている映画ではなかろうかと思う、何度見ても、大人になって見ても、全部が詰まってる、素晴らしい、大げさでなくいまだに年に2回は見てるような気が。
わたしもマイキーのように勇敢だったらいろんなことが違っただろうな、データのようにアイディアがあったなら、マウスのようなユーモアがあったなら、チャンクのように優しかったなら。
グーニーズのみんなにはやっぱり何年経っても憧れる。
グッドイナフ、とシンディーローパーが大きな声で歌う、そう歌ってくれるなら、わたしの日々もだいぶましだと思える、感動する、ありがとう、あれ、画面が滲むなあ、とかなんとか。

映画も音楽も美術もいつだってすばらしい。
幸宏さんに続き教授も亡くなってしまった。
残るものをつくれるひとが心底うらやましく憧れるけど、何も置いていかないのもすてきやなと思う。

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