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映画「狐狼の血」白石和彌監督

映画「狐狼の血」2018年・日本/白石和彌 監督

ヤクザって、どこか惹かれる。
本当のヤクザを知らないからだと思う。知らないから知りたく、見たくなる。

本作の舞台は昭和63年の広島。
ヤクザと深くつながるマル暴刑事の大上(役所広司)のもとで高学歴で新人刑事である日岡(松坂桃李)は暴力団関係の事件を担当するところから物語は始まる。

作品の前半は大上の行き過ぎた捜査方法が効果的に大胆に描かれていて、それが物語の後半に必然性を帯びて結びついていく構造になっている。

大上を役所広司という役者が演じるということが、本作にどう作用するのかと思わせながら私はずっと映画を見てしまっていた。どうして役所広司なのか。そう、思わずにはいられなかった。けれど、それも後半になるにつれ、それは不可欠なものと思わせる展開に変わっていく。
そして、それとは反比例する形で、日岡を演じる松坂桃李も前半とはかけ離れた人物へと鮮やかに変貌する。奇妙なまでの変貌は、本作の大きな見どころであり、観客たちは高揚感を覚えずにはいられない要素である。

良い子には見せられない映画ではあるのだけど、人間というものの本能的で野蛮で、惨めで、でも、人間という憎めない要素の情愛のようなものが、掠れながら物語に引き摺られて、生々しくきらきらと描かれている。
それがなければ本作は物語上、成立しないのだが、たとえお決まりと言えど、快感を覚えずにはいられない。なぜかと考えると、本作で流された大量の血とバイオレンスの数々が無闇なものではなかったと言わせたいからだ。

本作の逃してはいけない要素として、「時代」というものがある。描かれている、その時代というものを視覚上、しっかりと表現されているということが言える。それは、原作である柚月裕子の小説が、映画という媒体で見事に昇華されたと言っていい、ある意味、証明になっているのではないと私は考える。

それを裏付ける大事な要素して、本作に映し出されているセリフを持たない女の役者たちを見て欲しい。昭和という時代を生きている女たちの顔をしてるのだ。物語というものを使って、理論上言葉ではいくらでも時代を描ける。けれど、視覚上ではどうだろう。本作は「女の顔」というもので時代を描き、表現していると私は思った。それを称賛し、忘れないと思う。

文:北島李の

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