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忘れていたあの気持ち

今日は母の術後の定期診察に付き添ってきました。

母が手術をしたのは昨年。
だいぶ老いたことと、そのときには診断がついていなかったパーキンソン病のせいで、母は見間違うほど衰えていました。
今は何人もの先生、スタッフさんのおかげで、だいぶ年齢なりの母に戻ることができました。

が、体が元気になると、心の方ももとの元気を取り戻したりするところもあり。
私が苦手だと思っていた母も戻ってきました。

昨年の私は、だいぶ母に優しかったと思います。かける声音が我ながら優しかった。
それが、とてもきつい声になっている、と、今日、気が付きました。
母の体が不自由であることは変わりないのに、母の気の強さ、自分勝手なところ、身内にダメ出しを続けるところなどが戻ってきたことで、私は母が苦手だった、離れようと思った、という過去の自分を思い出してしまいました。

傍から見たら恵まれている環境で一生を過ごしたといえる母ですが、それをなかなか認められないひとで、おそらくそれは、叔母や、娘である私の妹から、過去の彼女たちへの仕打ちを責められることが多いからです。その責めをかわしたり反撃するために「自分が頑張ったこと、つらかったこと」を見つけては針小棒大で逆ギレしてきます。自分がどのように生きてきたかを真に省みることができないひとだと私は思っています。
私自身はカウンセリングを長く受けたからか、叔母や妹のようには母へ不満をぶつけることはしませんでした。そのため私への逆ギレは少ないですが、私という存在を見てくれることはなく、どこかうそうそしい気持ちにさせられるばかりです。というより誰かの存在をそのまま認める、愛する、ということを知らないひとなのだろうと思います。

かつて占い師に、私の母は餓鬼で、周囲にいる人間の運を食べてしまい自分が良い人生を送るひとだ、と言われたことがあります。その時、思わず「なるほど」と声が出て、よく納得したことを覚えています。

手術で弱っていた母は、叔母にも妹にも私にも、一生懸命介助させるような弱々しさ、哀れさを持っていました。我々、母のケアをがんばりました。
母は生命力を取り戻しつつあり、かつての、私達周囲の人間を食っても平気な顔をしているような母の顔を再び見せるようになりました。

もっと壮絶な母子関係のひとは、世の中にたくさんいます。
私などたいしたものではないと理解していますが、程度の差こそあれ、私も長く母との関係を引きずってきてしまった人間です。
もう手放したいし、手放したつもりでいたのですが、それは顔を合わせずにすめばこそだったのだ、と今日、わかってしまったようです。

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