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つまり、そういうことだ⑬

おまえの人生に、「損」というものは存在しない。
バッドもマイナスもネガティブもロスもダメージもシェイムも、すべて「存在が体験したいこと」であり、体験できたなら、それだけでもう「得」だ。
これに気付けば「得するしかない人生」がはじまる。
「やりたいことをやっている人生」など、メではない。
すべてが得。あまねく体験が得。あらゆる感覚器官からの情報が得。
いわゆる「生きてるだけで丸儲け」というやつだ。

では「もっとも損な死に方」とは何かについて考えてみよう。
この質問をすると、様々な答えが返ってくる。
「やりたいことを、やりきれずに死ぬこと」
「他人に利用されて死んでしまうこと」
「苦しんで死ぬこと」
個人の価値観においては、どれもが正解だろう。

しかし「生きてるだけで丸儲け」という「存在の観点」から見れば、違う答えも見えてくる。
ヒントとして「遊園地で、もっとも損をする過ごし方」を考えてみよう。
おまえはワンデーパスを持って、遊園地に入ったところで立っている。
おまえがもっとも損する一日の過ごし方は、どんなものだろう。

先程挙げたもっとも損な死に方を、当てはめてみると次のようになる。
「乗りたいアトラクションに乗れない」
「人が行きたいところに付き合わされるばかりで、自分が楽しめない」
「乗り物自体が、楽しくない」
どれも損な過ごし方ではある。

乗りたいものに乗れなくても、何かに乗れたなら、何にも乗れなかったより得だ。
自分が行きたいところでなくとも、どこかに行けたなら、どこへも行けなかったより得だ。
乗り物自体が楽しくなくても、それを知って理解できた分、得だ。
もっとも損なのは、何もしないことだ。何も感じないことだ。
「そこが遊園地であること」に気付かない。
遊園地が「何をする場所か」も分からずに、ぼんやり過ごすこと。
アトラクションがスリルや楽しい気分を味わうものだとも分からずに、ワケも分からず乗り物に乗せられては降ろされ、それが何だったのかも分からないこと。
そこが楽しめる場所だと想いもせず、楽しみ方も分からず、楽しむという発想すら無く、ただ立ち止まって過ごすこと。
遊園地でもっとも損な過ごし方は、何も感じず、体験できずに一日が終わることだ。

これをもっとも損な死に方に当てはめれば、「何も体験できずに死ぬこと」がもっとも損だと分かる。
やりたいことが出来なくても、やりたいと想う気持ちを体験できた分、得している。
他人に利用されても、苦しんでも、それを体験できた分、得なのだ。
もっとも損なのは「生きていることに気付かず死んでしまうこと」だ。
もっとも得なのは、生きていることにちゃんと気付いて、思う存分、自分という体験を「味わい尽くして」から死ぬことだ。

(つづく)

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