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プロローグ 父親が絶望から立ち上がる時

 ベッドの下に隠れ、泣きながら父親に電話をかける少女。彼女の身体は突如、乱暴にベッドの外へ引きずり出される。泣き叫ぶ彼女を、暴漢たちは手荒に車に押し込めて連れ去った・・・・・・。

――暗い部屋をほのかに照らすテレビ画面の中で、屈強な男が痛快なガンアクションを展開している。度重なるピンチにもくじけず、連れ去られた娘を奪還するために、タフな状況をクールに切り開いていく。

 私はなぜ、彼のように娘を救い出せなかったのだろうか。自分はもっと男らしい人間だと思っていた。強く、器の大きい人間だと。しかし、それは私が両親と友人、周りの人たちに恵まれていたからだ。
 「自分など取るに足らない、何もできない人間だ」と思い知らせてくれたのは、妻だった。

 彼女と出会ったころ、私は順風満帆を絵に描いたような毎日を送っていた。
 「いま、彼氏はいない」という彼女の言葉を皮切りに、私たちは急接近した。
 問題が発覚するまで、時間はかからなかった。確かに彼氏はいなかったが、夫と子供がいた。
「もう家庭内別居していて、離婚の話も進んでいる」というので、見切り発車で付き合いだしたが、なかなか離婚は進まないようだった。
 「魔が差す」ということが人生にはある。
その夜、「今日は大丈夫」という魔法の言葉を、私は疑いもしなかった。
大丈夫な日が「やっぱり大丈夫じゃなかった」と分かるまで、時間はかからなかった。彼女は懐妊したとたん、電光石火のスピードで離婚を進め、実現した。おなかの子のことを前夫に切り出したのは、出産後。離婚後三〇〇日問題があったからだ。
なぜあれほど膠着していた離婚を、こんなに手際よく急進させられたのか。なぜワンチャンスで効率良く妊娠したのか。なぜ前夫は好条件で離婚に応じたのか。よく考えれば、ヒントはたくさんあったが、私はあまりにも社会的に幼すぎた。おっくうな疑問と向き合わなかった。

 彼女のおかげで、最愛の我が子と出会えた。しかし幸せな時間は、あまりにも短かった。我が子を連れ去られ、私は永遠とも思われるような地獄を見せられた。離婚し、妻は元妻となったが、私への横暴がやむことはなかった。
なぜ、子供を取り戻せないのか。ひと目、会いたい。それが無理なら声を聞きたい。せめて写真で元気な姿を確認したい。それが、なぜ許されないのか・・・・・・。

娘、息子と引き裂かれ片親疎外の憂き目に遭った自分。何が悪かったのか、何ができなかったのか。失意のワンルームマンションの中、青白く光る画面を呆然と眺めながら、とりとめもなく思いを巡らせることしかできなかった。
娘をマフィアに拉致されたこの映画の主人公・ブライアンは、勇ましく銃をぶっ放しながら走る。
彼は、娘を取り戻すために、一秒も迷わない。何を犠牲にしても、誰を傷つけたとしても、娘を救う一心でまっしぐらに行動する。

対照的に、その姿を眺めている私は、精神的なダメージで自分の身体を起こすことすらままならない。慢性的な頭痛と不眠で、つねに体調が悪い。
ある日、子供に会えなくなるだけで、ここまでツラいことが身に起こるとは、知らなかった。
そしてその時の私は、自分と同じ思いをしているお父さんが、他にもたくさんいることも、知らずにいた。

日本では、年間十五万人とも十六万人とも言われる数の子供が、片親によって連れ去られている。その被害者のほとんどは、真面目に働き、子育ても積極的にしていた善良な父親だ。
元妻から殴る蹴るの暴行を受け、それに耐え続けたにも関わらず、元妻から警察にDV被害を申告され、ろくな調査もないままにDV夫のレッテルを貼られた人も少なくない。
私自身、元妻の連れ去り、虚偽DV申告、片親疎外に遭った当事者である。

これは子供を連れ去られ、生ける屍となった私が、気力を取り戻して再び立ち上がり、映画「九六時間」の主人公・ブライアンのように、子供を救うための行動を起こすようになるプロセスと、その結果を描いた実話に基づく物語である。
私の恥も多分に晒すことになるが、全国で連れ去り片親疎外に苦しんでいる「拉致られ父さん」が、元気を取り戻し、ブライアンのような「奪還父さん」として、子供との再会を果たすヒントになればと考え、上梓に踏みきった。

結論を先に述べておく。私の元妻を凶行に走らせたのは、ラチベン(拉致支援弁護士)である。
拉致られ父さんは、ほうぼうで理不尽な目に遭うので、怒りや行動の矛先が散らばってしまう。
裁判所も警察も学校も連れ去り妻も、理不尽で許しがたいことをしているが、この拉致情勢構造の急所ではない。なぜならこれらは全て無力だからだ。
裁判所は人員不足とオーバーフローで問題解決能力はゼロ。警察や学校はクレーマーの言いなりで保身に必死。そのクレーマーである連れ去り妻ですら、世間から白い目で見られながら貧困生活に戦々恐々としているのだ。

ブライアンが打倒するべきは、ラチベン(拉致支援弁護士)である。
奴らは、子供連れ去り・片親疎外の悲劇の中にあって、唯一なんのリスクも負わずに楽にカネ儲けをしている。
裁判所、警察、学校が何もできなくても、連れ去り妻側の弁護士が「奥さん、気持ちは分かりますが、お子さんのことをまず考えましょう」と、誰が聞いても納得できる当たり前のことを言えば、子供たちは傷つかずにすむのだ。
誰が傷つこうが、連れ去り妻が誰から恨まれようが、拉致られ父さんが自殺しようが関係ない、自分はこれが仕事だから。弁護士は恨まれるのも仕事のうちだと安易に割り切って私腹を肥やしているラチベン(拉致支援弁護士)を、子供の福祉の体現者リタベン(利他弁護士)に改宗させること。
これが私の使命だと自負している。そしてラチベンの悪行を世の中に発信する資格を持っているのは、連れ去り片親疎外に負けず、子供たちの未来を守ろうとするブライアンだけだ。
拉致られ父さんは、望む望まざるに関わらず、時代が負った宿業を打開する使命に選ばれし者なのだ。

夜明け前、闇はいっそう深くなると言う。目の前にある暗闇を、親子自由交流時代・夜明けの瑞相とできるのは、奪還父さん・ブライアンだけだ。

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