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つまり、そういうことだ⑱

人生における「最初の気付き」を私は憶えている。
これは「最初の記憶」より後である。
記憶というものを意識しはじめて、どれくらいが経過した頃かは分からない。
ある日、ショックを受けた。
自分が存在していることに気付いた瞬間だ。
「あっ、しまった」と思った。
どうしよう、自分がどこから来たのか分からない。気付いたら、生まれていた。ちゃんと憶えておこうと思っていたはずなのに。
気付いたときには、両親と一緒に食卓を囲んでいたのだ。
「僕、いつからここにおったん?」
母は笑顔で答える。
「ずっとおるやん」
どうやって生まれてきたのか知りたくて、質問をいくつか重ねた。
「その前は?」「その前は?」「最初の前は?」
しかし両親とも、笑うばかりで答えてはくれなかった。
何を聴かれているのか、分かっていなかった(分かるように聴けなかった)ということが、今なら分かる。

いつのまにか、そこにいた。
たとえば旅に出た次の日、目が覚めて、見知らぬ天井が目に入る。
一瞬そこがどこなのか、分からない。数瞬の追憶で 、自分がなぜそこにいるのかを思い出そうとする感覚に似ている。
違うのは、自分が何故そこにいるか思い出せないということだ。

その日から「自分は何故ここにいるのか」の探求がはじまった。
それはほどなく「自分以外の人たちも何故いるのか」「何のために世界は存在しているのか」という問いに発展した。
両親も先生、あらゆる人にそれを聞いたが、誰もそれを教えてはくれなかった。
同い年の子供たちは大人に「将来の夢は?」と聴かれ、スポーツ選手とかパイロットとか、嬉しそうに答えている。
私には分からなかった。
自分が何のために生きているのか分からないのに、何故、将来の夢など決められるのか。
「みんな、何を考えているのか?」
正気とは思えなかったし、そんな簡単に人生を「決め(捨て)られて」いいなと思っていた。

答えはどれだけ考えても出ない。
本もたくさん読んだし、子供とも大人ともたくさん話し合った。
しかしみんな、ほとんどの人は答えどころか、問いを理解することすら出来ないようなのだ。
無視されるか、笑われるか、「頭いいんだねえ」とお茶を濁されるか、意識高い系(面倒くさいやつ)とレッテルを貼られるか、だ。
「問い」を理解する人がごくたまにいたが、結局、その人も「答え」は知らない。
「いつか死ぬんだから人生に意味なんてない」
と思うようになった。

中学くらいになると、周りの友達が色気づきはじめ「人生ってさ」などと語りはじめる。
社会科でも「倫理」という項目が出てきてイデア論とかコギト・エルゴ・スムとかやりはじめる。
「深いわあ」と感慨に耽る友人を横目に、まだそんなこと言ってるのかとアホくささを感じていた。
「我思う故に我あり」なんて小学校上がる前に自分で気付くだろうよ、と。

だからといって、私が特段みんなより進んでいたわけではない。
形而上的なことに時間を割いていた分、高校を卒業してからは、形而下的な経験を積むことに集中した。
異性とお付き合いし、スポーツに打ち込み、友人と海や山へと青春を謳歌した。海外へも行った。バンドも組んだ。極貧生活も極堕落生活も味わった。大企業に入って、営業成績日本一にもなってみた。映画俳優になって東京国際映画祭で舞台挨拶もした。地方に移り住んで農業しながら子育てもした。離婚もした。ネットワークビジネスで数百人の組織もつくった。夜行バスに一〇〇〇回乗ってみた。起業して社長にもなってみた。裁判もやってみた。宗教活動にも、政治活動にもどっぷり身を投じた。
いろいろなことが、よく分かった。しかし「本当のこと」は、やっぱりよく分からなかった。

(つづく)

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