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つまり、そういうことだ⑨

NPCには、目的がない。しかし本人たちには、その自覚がない。

NPCが、繰り返して言っている言葉。

自分では「毎回考えを巡らせ、意味があることを言っており、言いつづければ、何かが変わる」と信じている。

しかしプレイヤーから見れば、同じことを言って、無目的に村の中をうろついているようにしか見えない。

「またこいつ同じこと言ってるよ」

「いるいる、そういうやつ」

「あいつはNPCだわ」

おまえにも、そう思う相手がいるだろう。なにしろNPCは何処にでもいるからな。


さて、ここで考えてみよう。

いま、おまえの頭に浮かんだその言葉。

本当におまえの言葉なのだろうか。

私の言論に対して、おまえがちゃんと「考えて」発した言葉なのだろうか。

それとも、人を批評するような話を聞いたときには、考えなくても出てくる反応なのだろうか。


そう言われると「考えたよ」と思ったか、「いや、考えてるのかな」と思ったか、それ以外だろう。

ではその言葉(考え)は、おまえが考えたのか、それとも身体に仕込まれた反射なのか、どちらだろう。

「さて、そう言われると……」この探求は無限につづく。

いま自分は考えているのか、反射しているだけなのか。

考えていると信じているのか、考えているような言葉を反射的に思い浮かべているだけなのか。

おなじみの思考パターン(答えの出し方)をなぞっているだけなのか、一つひとつを考えて処理しているのか。

自分の頭の中なのに、何が起こっているか分からない。

「分かった」と思っても、それは、考えるのを止めて、そこが結論だということにして、とりあえず考えることをやめたいという反射に従っているだけかもしれない。


NPCたちは、こんなことは考えない。ひたすら「オリジナル」の意志で、多様なことを考えているように信じて疑わない。

だから最後に出す結論(台詞)はいつも同じだ。

「私、バカだから」

「愛って、無条件のものだから」

「あなたがそう思うんなら、そうなんじゃない」

「それは死ねってことだよね」

「頑張るしかないね」

NPCたちは、思考を止めるスイッチのような台詞を持っている。これは押せば納得して、モヤモヤ感なく思考を停止できる便利なボタンだ。

「とりあえず生」とかも、その類だ。


NPCのその台詞を聴いた相手NPCは、自分も思考を止める台詞を返す。

相手の言葉や振る舞いに、「何故そうしたのか」という想いを巡らすことは無く、「それって、こういうことでしょ!」と脳内にプログラムされた処理パターンに則って、いや乗っ取られて解釈してしまう。

「あなたは、そのままで素晴らしい」

「頑張らなくて良いんだよ」

「やっぱり分かりあえないね」

「死ぬ気でやれよ、死なないから」

「それでダメなら仕方ないじゃない」

言ってる内容がポジティブかネガティブかなどは関係ない。

考えているかどうか、つまり「何を言っているのか」を「分かっているか」どうかを、いま問題にしている。


プログラムされたパターンが、ステレオタイプとかバイアスとかいわれているものだ。

このプログラムの外から自分を眺めているのが、本来のおまえ、存在だ。

(つづく)

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