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親、過去の話

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あまり明るい人生ではありませんが、それなりに生きています。
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#過去日記

②高校卒業から、ついに夢の第一歩へ。

こちらからの続きです 先生に報告高校三年の担任は、どちらかというと事務的で、あまり熱量のない先生だったので、進路指導の女性の先生に報告に行きました。 彼女は高一の時の担任でもありました。 普段勉強を全くしない私を知ってるだけに、先生は自分のことのように喜んでくれ、こちらまで泣きそうになりました。 今でも忘れられない言葉をいただいたのですが、 『子供の仕事は受験を頑張ること。あとの金銭面は親の仕事。なので親にありがとうって言わないとね。』 ずっと苦しめられてきた親だ

①高校卒業から、ついに夢の第一歩へ。

私は高卒資格取得の為仕方なく通った高校とはいえ、理解してくれる1人の親友と出会い、 遠距離恋愛だけど彼女もいてくれて、楽団によってずっと音楽がある環境に身を置けたし、何より ずっと夢だった楽器の修理師への第一歩ももう少し。 全てが良い方向に向かっているようで、幸せいっぱいで明るい日々でした。 順風満帆とはまさにこの時のことを言うんだなと今になっても思います。 肝心の受験ですが、吹奏楽というのは夏に全国大会を目指す 夏のコンクールという行事があります。高校野球でいう

初めてのお付き合いは同性。

前回の下の方からの続きです→ 『結婚を前提に、付き合ってほしい。』 と13才年上の女性から唐突に言われた私。 正直私の頭は理解が全然追いついていませんでした。 それは、女性同士だからというよりも、 他人から直接愛をぶつけられた事にびっくりしたのです。 まさか自分が他人に愛される日が来るとは思いもしなかったので、私は、こんな私でよければ是非。とその場ですぐにOKしました。 女性同士での恋愛を意識したことは1度もなかったし想像もしなかったけど、 私にとって人を好き

同人活動では文章製造マシンだった。

私は漫画が大好きだ。今で言う腐女子(男同士の恋愛が好き)でもある。(それも結構ディープな) 『腐女子』なんて言葉ができる以前からの筋金入り。 そんな私は、昔のオタクに多かった『隠れオタク』の部類で、特に友人などと趣味の共有をしたりすることはなかったし、外ではそういったものは一切興味が無いように振る舞った。 それが楽しかったのです。 狭い世界で生きてきた私に希望をくれたのはいつだって音楽と漫画。 (夕方のテレビアニメは親がテレビを占領しているため、たまに見せてもらえた

私とクラリネットとの出会い。

私の通う小学校では、クラブ活動とは別枠で、ブラスバンドが存在した。 普段見た事がないような楽器を好きに触れるとのことで、音楽が好きな子供は皆音楽室に吸い込まれるように走って行きました。 私は当時、吹奏楽やブラスバンドが一体どういうものなのか全く知らないし、さほど興味も沸かなかったのですが、 同級生の中で【流行っている】物にはとても興味があり(閉鎖的な家で育ち、流行りのものが何なのか分からないけど、同級生が楽しそうに話しているのを聞き耳を立ててこっそり知識を得ていた。)

【毒親】思春期、反抗期は許さない親。

これはうちの親が思春期、反抗期に対する正しい理解がないため、 ただなんとなく、 『子供は親に逆らう時期があるらしい』 程度の認知しかない為、そんなわがままはウチでは許さないと口を酸っぱくして言われておりました。 反抗期=ワガママではないだろう。と子供ながらに思っていましたが、わざわざそれ自体に反抗するでもなく日々を過ごしておりました。 毒親VS子供【心の変化】とはいえ、成長というものは誰にでもやってきます。 好きな人ができた。 初めて友人と遠出してみたくなった。

【毒親】精神疾患やアレルギーは信じない親。

自分たちだけの閉鎖的な世界で生きている祖母と父は、精神的な病気、例えば『うつ』などは一切信じないクチで、常に 『そんなものは存在しない、あれは嘘だ』 とやたら主張してきます。 身の回りにそういう人がいないのか、知った尚信じていないのかは知りませんが、とにかく病気というのは外傷や内臓疾患などを指すものであって、見えない心の病気などは、ただの『気のせい』にされてしまうのです。 毒親家庭での精神疾患そんな家庭で育った私、もちろん実家暮らしの時から精神的におかしくなっていまし