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へっぽこぴーりーまん書紀〜新卒入社編⑧

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子会社出向

新卒で入社したメーカー営業3年目の冬。ボクは子会社に出向を命じられる。営業としてではなく、製造スタッフとして。
ボクは明確に左遷・懲罰的な意味合いも含まれた辞令だった。そう解釈している。

伏線

伏線はあった。
ボクの在籍していた会社はゴリゴリのオーナー同族経営の中小企業だった。その体制に対して社内アンケートでボクは正面切って批判してしまったのだ。
「オーナ同族経営に問題がある」と。

体制批判

ボクが体制批判したのは、正義感からだった。ボクの在籍していた会社は、パワハラが横行していた。
上司から部下への暴言は当たり前。ノルマはキツく、未達の社員には、「ライバル会社のスパイか!?ボケ!」など今の時代では一発アウトの暴言が吐かれる。
月末の売上会議は、「どうやって売上作ってくるんや!?え!?」と凄まれる。
売る商品ひとつひとつに具体的な対策を言わされ、言えなかったら恫喝された。

胃が縮こまり、月末がやってくるのが恐怖だった。
後輩の中には、吐き気を催すものもいた。
「助けてください。」と近所の神社に毎日、土下座で詣ではじめたのもこのころだった。

金正恩体制

お隣の某独裁国家のように、一族の言うことは絶対だった。朝令暮改であろうが、黒いものでも一族が言うなら白だった。体制の批判はご法度・タブーだった。
まぁおかしかったし、怒りを覚えるのも無理はなかったと思う。同僚も体制に不満を持たないものはいなかった。
経営的にも当時は赤字を計上するなど。良くはなかった。営業部隊にはノルマ必達が課せられ、より締め付けが強まっていた時期だった。

お願い営業 

月末までに数字がキツイので助けてください。とひたすらお願いに行く日々が続いた。
ボクにとって営業=ムリなお願いをすること 
にすり替わっていた。
客先からは怪訝な顔をされ、訪問するたびに嫌われていく有様だった。
営業工夫がなかった。それもある。
ただ、ここで営業=辛い の図式ができたのはかなり今後に影を落とすことになる。
自己啓発本で得た知識は、理想と現実にかえって大きなカベをつくり、ボクの現実への怒り、憎悪や嘆きを増幅させるだけだった。
ピリピリ胸が震え、小刻みに目のあたりがケイレンする。息が浅くなる。
ひたすら眼の前の現実から逃げたかった。

正義感

若手。ボク自身がそのパワハラの標的になっていたこともあり、ボクは総務課に所属長のパワハラを告発した。所属長の暴言などを報告して、改めて欲しいと伝えた。更には、社内アンケートでその原因になっているのはオーナー同族経営で、相互批判ができなくなっている体質にあると言及したのだ。正義感からだった。もうひとつは仕事のコミュニケーションがうまくいかないストレスも行動の要因だったと思う。

告発は正しかったのか

告発したことが間違いだとは言えないと思う。とはいえ、ボクの進め方は短絡的で乱暴だったと振り返る。例えば
①パワハラの証拠をボイスレコーダーなどで録る
②賛同できる仲間を集める
③会社への改善提案として持っていく


など抵抗を最小限まで減らす案はあったと思う。
そこまでできるだけの精神力が残っていなかったのも現実。だが、策は尽くすべきだった。
ボクには戦略がなかった。
何よりコミュニケーションによって解決しようとしていなかった。
そのツケは後々まで響いていくことになった。

その一ヶ月後…

ボクに人事異動の通達が出される。子会社への出向人事だった。ボクが告発した所属長もセットで。営業職としてでなく、それぞれ製造職として。
所属していた会社の中で、営業から製造職は「営業失格」の烙印を押される意味が強かった。
製造から再度営業に入ることもあったが、基本的に出世コースではない。

客観的には報復と痛み分けをみたバランス人事だったと思う。
所属長の上司である部長から伝えられる。

乾いたコトバ

「部長が呼ばれている。別室に来なさい。」
1月の全体会議の日だった。直属の上司に呼び出されて入った。
部長と告発した所属長が奥にでんと座っていた。

「ごめんなー。営業部門の業績が悪いのと、子会社の強化で人を行かせないといけないことになった」

…部長の光のない鈍い目つき「ごめんなー」の非常に乾いた響き。は覚えている。

「ゴメンナー」
心底そう思ってないことは明白だった。しばらく思い出すこともなかったし、これまで語ることもなかった出来事だ。

あわせて告発した所属長も、出向先の工場長になることが告げられた。

告発した所属長は営業のエース的存在で、営業手腕自体は高く評価されていた。
この売上が苦境の中、製造現場に送ることは不自然だった。
とりあえず所属長へは反省の意味で。ボクへは痛み分けの意味合いでの人事だったのだろう。

転職への決断

当時ボクは転職活動を開始しており、その最中だった。辞める方向にすでに舵をとっており、最終面接も2件決まっていた。
辞令は受けつつ、完全にこの会社は辞めようと思った。

選択は正解だったのか…残った傷は恥部となる

精神がすり減っており、ボクは限界ではあった。当時の状況からみて、選択肢としては間違いではなかったと思う。
しかし、コミュニケーションの工夫や、仕事の工夫を凝らさないままの転職ではあった。
それは自分でもわかっていた。逃げの要素は強いことを。
「三十六計逃げるに如かず」という言葉はあり、正解でもあったと思う。
ただその逃げたコンプレックスは確実に残った。
だから2社目でもその課題は引き継いでしまうことになる。
ここはボクのコンプレックスで、「恥部」と言ってもいい部分だ。誰にも言ってこなかった。いや言えなかった。
(→次に続きます)

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