努力の努は…〜努力という言葉の罪

あるYou Tube動画を見ていた。とてもいい内容も多かったのだが、1つの言葉が多用されていてそこがめちゃくちゃ違和感というか、引っ掛かった。

それは、「努力」という言葉である。

私を含めて人々が「努力」って言葉をよく多用するが、具体的にこの言葉がどういう意味なのか深く考えたことがある人はどれくらいいるんだろうか?そんなことをふと思った。

「努力」を使う場面を、考えたら凄く抽象的で曖昧じゃないかと思う。

何を具体的にどうするかも、どう捉えるかも何も考えず言うケース。免罪符として使うケースが多いように思う。凄く逆説的だが、この言葉が多用されることで、結果を出せない言い訳を人々に与えてるような気がする。

「努力」って実は罪深い無責任な言葉だなと感じる

無闇に行動する。苦行する。多くの時間を割き没頭するって意味が努力という言葉には含まれてる気がするが、私は少しここまで生きてみて「努力自体を称賛する」のは違う気がする。
明確な目的を持たずに、「努力する」のは、奴隷志向に等しいじゃないかとも思う。


努力の努の字には、奴隷の"奴"がしっかり含まれている。これが努力の文字の本来の由来である。

努力の【努】=奴隷が力仕事をするという意味になる。

繰り返しになるが、キツい表現をするならば、明確な目的もない「努力します」は、使用人(組織、国)から搾取される奴隷でしかないだろう。 

たとえば世の中の成功者は「努力した」って本人は感じてるんだろうか?努力って言葉で人生を振り返るんだろうか。そんなことをふと思う。

あくまで正しい努力という言葉を分解した場合、具体的にどういう意味になるんだろう。

明確な目的。それもあくまで人や組織から、親から刷り込まれたものではない、自発的に感じる明確な目的があって、それに対して工夫と改善を繰り返しながら、行動を重ねること。

これが、良い意味で使おうとする「努力」を肯定的に言い換えたものではないだろうか。

※ちなみに面白いもので、「怒る」という字も奴隷の奴がついている。「怒る」のは感情の奴隷になっているということで、正しく字が表現されていると思う。

努力を別の表現で具体的に言い換える。怒りを分解して具体的に言い換える。

これらのことを無意識に行えるよう取り組むことにしたい。

#字の成り立ち #努力 #奴隷 #怒る  

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