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へっぽこぴーりーまん書紀〜2社目編 東京編⑥

(→前話より)

高鍋の顧客引き継ぎ

ボクは新潟の退職する、高鍋の客先を引き継いだ。
高鍋はクセが強かった。古くからの付き合い顧客を担当していた。
高鍋が高齢で、文書を残すタイプではない。かなりクセのある営業をしていたことは引き継がれる側としてはかなりキツかった。
悪気はないのだろうが、高鍋の話が異常に長く要点を得てないことも多く、引き継ぎは苦行だった。
高鍋の主要顧客は、カタログ業者だった。
カタログ業者への販売は、状況的に難しかった。
一般的にカタログ業者が求めることは、値崩れしていないこと。安定して長期で供給できること。この2つの条件だった。

しかし、定価で売られている、改廃が少ない商品は所属会社には少ない。

ギフトルートは、会社の政策的とは根本的に合っておらず、売りにくい販売ルートだった。

入社以来、社内で日の当たりにくい販売ルートを持たされることが続いていた。
おまけに、カタログは文章校正などの細かい仕事が多い。
新卒から一貫して、細かい事務作業は苦手なボクにこの販売ルートは辛かった。


関連会社への販売ルート

高鍋から引き継いだ顧客に、関連会社があった。
関連会社というのは、同じグループ傘下の顧客。2社目は「ある企業」の100%子会社だった。子会社はボクが所属している会社以外に多数あった。
ボクはその子会社と親会社に対して、社販のような形でものを販売する窓口を高鍋から引き継いだ。
これが評価につながらない上に、業務量だけは多かった。
この業務が後に、ボクの首を絞めることになる。

ホームセンターキング

この高鍋の顧客以外に、竹本から引き継いだのがホームセンターキングだった。
ホームセンターキングは、全国に展開するホームセンター。売上額はこれまでの僕の顧客で最大。水筒の採用は殆ど自分の所属するメーカーの製品で占められていた。
ただし、わけあって取り組み顧客には入っていなかった。
バイヤー(仕入れ担当)の要求が非常に厳しい。双方向でコミュニケーションがしづらいからだった。

キングは他の顧客と同様、卸問屋を経由した商売だった。
卸問屋の担当営業は、増田。
増田は中年で、昭和気質の営業マン。
根は悪くないのだが、ルーズなところがあった。
勝手に値引して商品代を支払ってくる。相談もなく顧客と合意をしてしまうなど。
どこかメーカーを舐めているところがあった。

坂道のはじまり

担当は増えたものの、取組顧客もなく、評価に繋げやすい顧客はなかった。
「担当は増やしたし、決して軽い顧客ではない」と課長の足利は言った。
しかし、扱いづらい顧客を一手に引き受けさせられたことは明確だった。
ボクが取り組み顧客をくださいと強く主張しなかったのも一因だろう。

しかし、これだけは間違いない。

せっかく東京に異動し良くなり始めた流れが、ここで萎んでしまったのは。
モチベーションもここからどんどん下降していくことになる。

そんなもんだろう


どれだけ心から願っても
どうにもできなくて 諦めたものがあるよね

どこを過ぎれば素晴らしいくらい
つまんないことって未来の僕が言いやすいんだろう

僕は色んなことを 考えながら
いじわるなこと思った
どんな夢を抱いたかより僕はどんな夢を抱かなかったか

作詞、作曲:ASKA

素晴らしいくらいつまんないこと

語れるようになるまで、5年以上の月日がかかった…。

ボクはどんな夢を抱かなかったんだろう…
(→次回に続きます)

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