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へっぽこぴーりーまん書紀〜2社目編 東京編⑤

東京2年目の春

東京2年目の春。
新潟営業所が閉鎖して4課に編入。
村西と竹本が転勤し、新卒の花山が入社。関西から志摩が異動してきた。
この結果、人員は一増。
村西と竹本の多くの顧客を、志摩と上尾で分け合う形になった。
新潟営業所は、地元の嘱託のおじいちゃんが担当していて中小の付き合い程度の顧客がメインだった。
ボクは新潟営業所の顧客と、少し難のある竹本が担当していた、ホームセンターキング。を受け持つこととなる。

2年目のボクの周囲の人間関係


上尾

上尾は村西の顧客の半分と、竹本の取り組み顧客を担当として持った。
課長の足利は、「上尾のほうがオマエより評価が高い」と明言した。
「いったい半年の他の営業の仕事のフォローで何がわかると言うんだ。何でぽっと出の奴に担当をやるんだ!」
ボクは怒りでいっぱいになった。

上尾は、程なくしていっぱいいっぱいになった。
もともと物静かだったのが、異常なまでに話さなくなった。

やがて、彼は出社しなくなり休職した。仕事のプレッシャーからの休職。半年間彼は休職した。

彼に対して、ボクは不謹慎ながら
「仕事的にはチャンスや!」と思った。
上尾の担当顧客を奪取できると思ったのだ。
それだけ、上尾の顧客担当の扱いにボクは納得がいかず歪んでいた。

回ってこなかった僕の出番

期待の中途社員の離脱。
そのピンチヒッターとしては、ボクが起用されると思っていた。

ところが、ピンチヒッターに起用されたのは新人の花山だった。
花山は積極的な姿勢を見せていた。
反面でボクが失敗した、「ええカッコしいの積極」でなく「バカを開示した積極」だった。
この花山のようなタイプは今までの2社目におらず、上層部からのウケがえらく良かった。
この新人の花山に優良顧客をとられたことは、大きな分岐点となったと思う。
上尾のときも我慢していたが、ボクは更に不平で一杯になった。

言えなくて

今思うとボクはなぜもっとアピールしなかったのか。
上尾のときもそう。花山のときもそう。なぜボクに優良顧客を渡してください。ボクがやります。と言えなかったのか。

1社目の一族企業にNOと言った時の勢いは消え失せてしまっていた。
2社目に入り、最初イキがっていたときの勢いはこのときにこそ必要だった。
勇気を出して突進するなら、この瞬間だった。

何度か「どの顧客を持ちたい?」と課長の足利から問われたときがあった。
その時に即答できなかった。

「竹本や村西さんのところボクがやりますよ!」と。言い切れなかった。

ボクは自信がなかった。覚悟を決めれなかった。
「ボクに任せてください」と言えなかった。

花山や上尾への屈折した気持ち。
それはもとをただすと、自分自身の臆病さが原因なのはわかっていた。
わかっていて行動できない。
煮えきらない自分が情けなく、もどかしかった。
(→次回に続きます)

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