今日考えたこと(架空の子を描くときのモヤモヤ)

最近のタイツの件でも思ったが、私は絵を描く人間としてこういう事は最近よく考える。
あくまで私の中の葛藤とか疑問の話です。

そもそも私自身は現在、架空の女の子を「かわいいもの」として描くことに抵抗がある。

「女性は美しく神秘的なもの」という扱いは大昔からあった感覚だと思うけど、「肯定的なんだからいいじゃん」と、描くこと見ることを軽く許されているような。

「架空の女の子に可愛いポーズをさせて、可愛い服を着せて描く」ことは幼少期から自分でもよくやっていたことだけど、「それ自体になんの疑問も持たなかったこと」が最近自分の中で問題だなと思っている。

昔から自分が「よし、創作の絵を描こう」と思った時に真っ先に頭に浮かんだり手を動かすと無意識に描いているものが「女の子の絵」だった。これは人によるだろうけど、私はそうだった。

言葉にするとしたら「自分の描きたい綺麗な風景や空想の中に似合うのは女の子」とか、たぶんそんな理由。深い意味は無い。

でも、それってどうなんだろ。と最近考える。

そもそも、その描かれた女の子に「意志」はあるのか?「添え物」や「美しいものの象徴」としての描き方ではないのか?神格化してないか?

私は自分の容姿にコンプレックスがたくさんあって、かわいい女の子の絵をみたり、描く時に自分と比べる事も多かった。「こうなりたいな」「なんで私はこうなれないんだろ」とか「みんなは女の子はこうあるべきと考えてるのかな」「かわいくあるべきなのか」「胸は大きい方が良いのか」とか。


いわば、「教科書」的に見てしまうというか。

誰かにそうしろと言われて育ったわけではないけど、たとえ描かれているのが男性の絵だったとしても視界に入る雑誌、好きで見るイラストが「美しい容姿」であることが普通だったから。

「描くなら美しい方が良い」
「見るなら綺麗なものが良い」

これはたぶん描く側も見る側も少なからず持ってる感覚だと思うし、私もそう。

けど、世の中にそういう神格化した女性像や男性像が浸透している中で自分の容姿を見返しながら生きるのが結構辛い。比べてしまうのも自分だし、それで劣等感や自信を失うのも自分なんだけど。

そんなこんなで、理由なしには「架空の女の子」を描けなくなってしまった。

たぶん今は「自分の分身として」とか、「伝えたいこと、訴えたいことがある」とかじゃないと自分では描けないかな、と思ってる。描けないというか、描きたくない、かな。


二次創作なら違うのか、というとちょっと違うかも。二次創作はもともとのストーリーやキャラクターありきで、「その人」であってそれ以上でもそれ以下でもないから。その基盤に沿ってその人が過ごしてそうな日常、表情を浮かんだまま描くというか。

そのキャラクターに対して特に「美しくなければいけない」「こうあるべき」とは思ってない。ただその人が健康に健やかにしていてくれればそれで良いというか。ぬくぅして寝ててくれればそれで良いなぁ~。

まだまだ考えが全然足りないしどうしても自分を肯定したくなったり葛藤があるけど、考えることを止めないでいきたいな。

絵は公開したら人の目に入るものだし、少なからず仕事にもしているのだから、このモヤモヤは絶対放置してはいけないな~と思う。

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