ひとり兎園會 ーー幼きモノーー

私がまだ二十代の頃の話。東京はN区を走る私鉄沿線、踏切の傍にそのアパートはあった。そこに住まうのはAさん夫婦と小学校低学年の年子の姉妹。そのご家族に「独身の一人暮らしじゃあ碌な物も食べてなかろう、たまにはちゃんとした手料理を食いに来い」と晩御飯に誘われた。そこの姉妹への土産にケーキなんぞをぶら下げてお呼ばれに応じた。
食卓に並んだ肉料理に魚料理、様々な手作りの家庭料理に舌鼓を打ちながら酒を飲み、一家団欒の暖かい時間を過ごしていると、姉妹の玩具箱からと電子音がなる。
「気にすんな。うちじゃあ日常茶飯事のこだから」
と言われ気にしない振りをしながら食事を続ける。
 ピピピ……ピピピ……ピピピ……。
「今日は長いね……」
 と長女Cちゃんが言う。
「長いな」と言いながら電子音の鳴る元に向かう主。玩具箱をがさごそとやり戻って来た時に手にしていた物はガラケーの玩具だった。
「スイッチが入ったままだ」
 とスイッチをOFFにする主。
 ピピピ……ピピピ……ピピピ……。
「電池抜いたらどうですか?」
「そうだね」と主がガラケーの玩具をひっくり返し電池を抜く。
 ピピピ……ピピピ……ピピピ……。鳴り止まぬ玩具。場が凍りつく。主、それを床に叩き付け踏み割り、ピ……、ようやく鳴り止んだ。静まる食卓。どうも居心地が悪くなり頃合いを見て帰ろうと思った矢先、気を取り直して飲もう、今夜は泊まっていけ、明日は休みだろうと主が言い出し、私も断り切れずそれに従うことにした。
 結局遅くまで酒宴は続き、姉妹たちは床に就き、主と夫人、そして私とで飲んでいると主が語り始めた。
「そこに踏み切りの脇に花が添えられていただろう? 俺らがここに住む前の事だけど以前に事故があったとかで、その時亡くなったのがこのアパート大家の息子さんらしいんだ。まだ小さかったらしくってね。そのせいなのかなあって。玩具が鳴ったり、玩具が動き出したり。その息子さんがうちで遊んでいるのかと……。そんな事があるから娘たち夜中に一人でトイレにも行けないんだよ」

深夜になり酒宴も終わり今に私と主の布団が敷かれ、夫人は子供たちのいる部屋行き皆就寝となったが、先程の事もあり他所様の家なのでどうも熟睡出来ずうつらうつらしていると、隣の夫人と娘さんが寝ている襖を開ける音がして、薄目を開けて見てみると子供が一人私の横を歩いて行った。娘さん達が寝ている部屋からトイレに行く際は私が寝ている居間を抜けキッチンに行かねばならないから、娘さんのどちらかがトイレに行ったのだろうと思った。然しその時主の言葉を思い出した。
「そんな事があるから娘たち夜中に一人でトイレにも行けないんだよ」
 一人でトイレに行ったんだ、と思いもしたが念の為主を起し、娘さんがトイレに行きましたよ、と伝えた。主も珍しいなあ、等と言いながらトイレへ向かう。然しすぐに戻って来て、
「誰もいねえぞ?」
 いや確かに誰かがトイレに、と言う私の声を聞きながら隣室の襖を開けて中を伺う主。
「三人とも寝ている。夢でも見たのか? 起きたついでにトイレいってくるわ」
 とキッチンの向こうに消える主。私も夢でも見たのだろうと再び布団に入るとトイレから主の声が聞こえてきた。
「誰? 今パパが入っているから待ってて」
何を言っているんだと思いながら、布団を出てトイレに向かう。トイレの扉はきちんと閉まっておらず少し開いたまま用を足しているようだ。
「誰も行ってませんよ」
「え? 扉の隙間から子供が立っているのが見えたんだけど……」
 トイレを済ませた主と私はキッチンに暫く佇み、二人して濃い目の焼酎の水割りを無言で飲み、布団に入った。
 
 夜が明け、夫人が起き出し居間を抜けキッチンに向かう。朝食の準備か、休日の朝なのに申し訳ないなあと思いながら起き上がろうとすると、キッチンから夫人の悲鳴が上がる。飛び起きた主がキッチンに向かい私もその後に続く。流し台から距離を置きステンレスのワークトップを指さし震えている夫人。その指さしたワークトップを見てみると、肉の脂をを触った後のような子供の手形が付いていた。

ひとり兎園會  ――幼きモノ―― 閉會


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