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ファラオの黄金パレードの裏話!

昨年、行われた"王と王妃たちのミイラの(新博物館への)引っ越しですが、このプロジェクトの関係者にちょっと舞台裏を聞きました。

まず、パレードの時、柩にミイラは入っていない、空だった。

もし襲撃されたら、取り返しがつかないどころではないので、事前にファラオのミイラたちはこっそり先に新博物館へ移していた。

(ちなみに引っ越しそのものは、旧博物館は次々発掘される遺跡/ミイラで"混雑"しまくりだったため)

また、パレードに使われた、葬式船に見立てられた車は、日本車ではなくエジプトの軍隊の車なのだそうです。(噂では)公式にはエジプト製となっていますが、実はアメ車らしいです。(噂です)


そして、インテリ層などは、

「もともと旧博物館でも、柩の蓋を開けてファラオのミイラの晒して公開していること自体、間違っていた。

また、ファラオのミイラ(空だったけれど)の"パレード"をするのがおかしい、respectが全くない。完全に商業的利用物としか考えていない」。

↑これを発言したうちのひとりは、数年前にファラオの特集番組を製作、その直後"奇妙な"大きな事故に遭い、生死をさ迷っています。

(内蔵にもダメージを受けた怪我を負ったのですが、日本の病院に運ばれていたら、まあ大丈夫だった。

しかし、如何せんエジプトなので、どういうわけか一回目の手術が"失敗"。で、二回も手術を受ける羽目になり、回復に時間がかかっていました。

余談ですが、先日私の友達の息子(16歳)もカイロで交通事故に遭いました。手術をしましたが、骨を曲がったままくっつけられてしまいました。

しかし親は

「反抗期で我が儘し放題だった。だから神が怒ったのだ。骨が曲がってくっつけられたのは、罰が当たったのだ」。

「....」 

そういう思考になるのか!)


葬式船(車)はその治世の年代順に移動:

1セケンエンラータオ王(紀元前1560年または1558年から1555年)
2アーモセ女王-ネフェルタリ
3王アメンホテプI(紀元前1525年から1504年(論争))
4メリトアモン女王
5王トトメス1世(紀元前1506年から1493年(論争))
6王トトメスII(紀元前1493年-1479年 or 紀元前1513年-1499年)
7女王ハトシェプスト(紀元前1479 – 1458年1月16日)
8トトメス3世(紀元前1479年から1425年)
9アメンホテプ2世(紀元前1427年-1401年or 紀元前1427年-1397年)
10トトメス4世(紀元前1401年-1391年 or紀元前1397年-1388年)
11アメンホテプ3世(紀元前1391年-1353年or 紀元前1388年-1351)
12ティイ女王(紀元前1390年–紀元前1353年)
13セティ1世(紀元前1294 / 1290–1279 BC)
14ラムセス2世(紀元前1279年から1213年)
15メレンプタハ王(紀元前1213年から1203年)
16セティ2世(紀元前1203年から1197年)
17サプタハ王(紀元前1197年から1191年)
18ラムセス3世(紀元前1186年から1155年)
19ラムセス4世(紀元前1155年から1149年)
20ラムセス5世(紀元前1149年から1145年)
21ラムセス6世(紀元前12世紀半ばから後半)
22ラムセス9世(紀元前1129〜 1111年)

(もっと時代が遡る)古王国時代専門のエジプト人考古学者いわく

「みんな"NEW"ミイラばかりだな」。

「...」


また、

当日のコンサートでは、古代エジプト語の聖歌が含まれていました。

エジプト人ソプラノ歌手アミラ・セリムが歌った賛美歌「イシスへの畏敬の念」の歌詞は、ルクソールのシャルウェイト寺院の壁に刻まれた碑文から取られているそう。 

パレード中に歌われた他の古代エジプトの歌詞は、死者の書とピラミッドテキストからによるもので、またさらに古典アラビア語とエジプトアラビア語の2曲も歌われたとか。

パレードには大勢のエジプト人スター歌手/俳優女優たちも登場していました。

ヨウスラ(↓)はエジプトのみならず、中東で有名な女優です。1955年生まれ(見えない!)で、オマー・シャリフと友達でした。

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↑でもこの後、コロナに感染していました..


ところで、エジプトでもコロナ新種、BA2の噂が囁かれているようです。

(PCR検査に引っ掛からないウィルスで厄介らしい?)

が、ほとんどのエジプト人はノーマスクで大勢で食事もしている、と。

「神が守ってくれるから大丈夫」

彼らはそう笑い飛ばしているそうです。

どの神様が守ってくれるのかね?とツッコミたくなりますが、

良い週末を~

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