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第四話:釘の家(小春日和の京都街歩き)

前回記事はこちらから。

街歩きコースはこちら(今回は③から④まで進みます)

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前回は高瀬川通沿いで全テナントが抜けてもぬけの殻になったTIME’Sをみて、京都の街の行く末を案じているところだった。くよくよ悩んでも仕方ないと東に進むことにする。

少し歩くと鴨川が見えてくる。こんな晴れた日の鴨川沿いはとても気持ちが良い。京都人は総じて鴨川好きだと思う

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鴨川を通り過ぎて、川端三条の交差点を超えたあたりでまたホテルが見えてきた。「京都悠洛ホテル Mギャラリー」というのは名前は聞いたことがあったが、Mギャラリーというのはアコー系列のホテルらしい。元々は「いろは旅館」という旅館が建っていたが、2019年にこちらのホテルに建て替わっている。

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ホテルは緊急事態宣言を受けて休業中であったため、エントランスを見ることもできなかったが、HPを見る限りは、和のテイストを取り入れたデザインで、王道の「ブティックホテル」という感じだ。

この建物自体は今は京都に数多くみられるやや高級な外資系ホテルの1つ、ということで、特にこれ以上語るところはないのだが、驚いたのはこの建物の隣の敷地である。

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広大な空地に取り残されたように町家が1軒残っている。国土地理院のHPから2008年の航空写真を拝借し、今の航空写真と見比べてみると一目瞭然。この一帯は町家の住宅・店舗が建ち並んでいたことがわかる。

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登記を取れなかったっため、当の町家の所有者や周辺の土地の所有者などわからず、想像の域を出ないのだが、おそらく大規模再開発が行われる予定地ということだろう。ググってもあまりそれらしい情報が出てこない。

こういった再開発予定地に1軒だけポツンと建っている家は、その姿から「釘の家」と呼ばれる。前のバリケードの様子からはどうも空き家になっているように見受けられるが、所有者不明で取り壊せない状況なのかもしれないし、あるいは再開発に抗って立ち退き拒否をしているのかもしれない。いずれせによ、釘の家はこの周辺の当時の街の面影を知る時代の証人であり、その姿からは悲壮感を感じる。

こういう光景を見ると、京都の古い町並みがまた一つ失われることの寂しさやもどかしさを感じつつ、恐ろしい事実に気付く。それは、自分が、「取り壊される前に、ここに何が建っていたか?」を思い出せない、ということだ。

今回もこの敷地の前は自転車や車で幾度となく通ったはずの場所だ。それなのに、元々何が建っていたかは、ストリートビューや古い航空写真を見ないと思い出せなかった。自分がいかに毎日、街の景色に注意を払っていなかったか、ということに気づかされる

大事なものはなくなった時に気付く… どこかのJ-POPで歌われているようなありきたりな言葉だが、この釘の家をみてそう思った。

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