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第八話:街の端、端の町(小春日和の京都街歩き)

前回記事はこちらから。

街歩きコースはこちら(今回は⑩から⑫の手前まで進みます。)

図13

少し道のりがややこしいので赤枠部分を拡大するとこんな感じ。

図12

前回はThe Unir(⑩)で美味しいマキアートを飲んで店を出たところだった。次の目的地はザ・ホテル清流 京都清水(⑬)というホテルなのだが、Google Mapで「ホテル」と検索すると、⑪のエリアにいくつかゲストハウスがあるということが分かった。

このあたりに行ったことがなかったが、地図上で見る限りポツンと町があるような感じで「どんなところだろう?」と気になったので向かうことにした。(ちなみに今回は写真をあまり撮れておらず少な目です)

まずThe Unirを出て、小路を抜けると目の前には2019年に開業したばかりのパークハイアット京都が現れる。2月は緊急事態宣言下でこのホテルも休業中であった。こういった山の裾野に建つホテルはやはり景色がよいのだろうと思う。

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パークハイアットの脇の道は急な坂道となっており、坂本龍馬をはじめとした幕末の志士たちの墓がある京都霊山護国神社に繋がる参道となっている。(サムネ写真参照)

ちなみに、10年ほど前に大学生協の募集をみて、この神社(正確には神社の脇の時間貸駐車場)で年末年始に短期バイトをしたことがある。急斜面の駐車場で車の誘導は難易度が高く、数日間ほぼ警備用カメラの画面を眺めて時間が過ぎ、使えないバイトとして去っていった少し苦い思い出だ。。。

護国神社でバイトしていたのだが、さらにその奥には進んだことがなかった。地図を見ると「維新の道」と名前がついている。ほとんど写真を撮ってないので、こちらのブログを見てみてほしい。

維新の道の登坂の頂上は正法寺へ続く階段のスタート地点。この階段を上ると霊明神社と正法寺がある。階段を登り正法寺の前まで行ったが、今は改修中とのこと。この先に道がないということから、その閉まった門は異世界への扉のように見えた

図15

そして階段を引き返して、その先は維新の道は下り坂となる。少し歩くと、目指していた清閑寺霊山町の住宅街にたどり着いた。少し調べただけなので、詳細は定かでないが、このあたりは室町幕府13代将軍足利義輝によって東山霊山城が築城された場所らしい。

図16

観光客だとすると、よほどの物好きでなければこの道を通り抜けて、この住宅街まで来ないだろう。ざっと20軒程度の住宅が建ち並び、そのうち2,3軒がゲストハウスになっているようだが、当然人影はほとんどない。

建ち並ぶ住宅はなんてことない普通の一軒家ばかりなのだが、背後の山や神道墓地の看板、人影のなさから、このあたりを歩いていると、不思議な空間へ迷い込んでしまったような、下界の人が踏み入れてはいけないような気持になった。写真が残っていないのも、単に忘れていたという以上に、無意識で写真を撮らない方がよいと判断したからだろうし、現にGoogle Mapもこの町の中まで踏破しておらず、その事実が妙にリアルだ。

京都は東西北の三方山に囲まれており、その山際は寺社仏閣があることが多い。もともと山そのものが信仰の対象になり、修行の場になり、墓地になるからだと思うが、一方で山際は景色が良いため、時の権力者の別荘が建ったり、参道は観光客のためのお店が集まり賑わいを見せたり、聖と俗が入り混じる場所でもある。

維新の道を下りてくると二年坂のあたりにでてきた。坂本龍馬も眠る聖的でリアルな「端の町」を垣間見た後に、俗的でどこか舞台のセットのようにも見える「映える街並み」に戻ってくると少し安心感がある。頻繁に来るような場所ではないのだが、人気のある観光地は所詮、京都人にとっては日常だ、と思った。

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過去記事はこちらから。


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