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「三角関数と自分の視野」の話

2年以上前に書いた「『微分脳』と『積分脳』の話」という記事に久しぶりに「スキ」を付けてもらいました。noteの記事はtwitterとか他のSNSと違って、かなり前に書いた記事に突然「スキ」が付くことがあって、自分が書いた文章が人に届いていると思うと嬉しくなります。

さて、その記事のラストで、

数学や物理の概念をアナロジーに見ていくと、結構楽しいです。僕は数学や物理が好きなのですが、厳密な話は苦手なので、そういったものを右脳的に考えるタイプだ、と思っています。他に書きたい話題としては、「サイン・コサインと自分の視野」「指数関数とスケール」「量子力学と人間関係」みたいなのがあります。

ということを書いたのですが、先日「三角関数よりも金融教育を」とTwitterに投稿した国会議員に批判が集まった、ということがニュースになっていて、この「サイン・コサインと自分の視野」というテーマで文章を書きたいと思っていたことを思い出しました。

三角関数が世の中にどう役立っているか、数学より古典の方が不要なのではないか、金融経済を勉強する上でも三角関数は初歩中の初歩だろ、これほどまでに日本の教育水準は落ちたのか、社会人になる前に金融については学ぶ必要があるということが言いたい、高校・大学進学と社会人になった後に必要なスキルの違いに教育現場も頭を抱えているのだ、、、

そういう社会批判や教育の在り方の議論は一旦脇に置いておいて、私としては「微分脳と積分脳」のようなファジーな視点での三角関数のイメージと世界の捉え方みたいなものを記載しておきたいと思います。

それが私自身の「三角関数を学んだ意義」だからだと思うからです。

さてはじめていきましょう。

「三角比」というのは、自分の目標の高さや周辺の人との距離感といった自分の核(ないし格)とそれ以外の関係性を測るためのアナロジーです。

「正弦」は目標の高さとそこまでの距離を見極めるためもの。たとえば資格試験の難易度について合格率や平均の勉強時間など、目標の高さがある程度分かるとします。角度は自分のやる気や効率。これが大きいと目標までの距離が何となくわかります。やる気や効率が低いと道のりは穏やかだけど長い、やる気や効率が高いと急だけど道のりは急だけど短い。

正弦のアナロジー

「余弦」も本質は「正弦」と同じですが、別のアナロジーとして人間関係について考えることができます。例えば憧れている人や対立する人との世界の隔たりのようなものです。X軸が価値観や世界観の違いだとすると、同レベルのものだと価値観が違っても距離は近い、レベルが違っても目指すべき世界が近ければ距離は近い、どちらも離れているととんでもなく遠い人、、、みたいなのを測れたりしそうです。

余弦のアナロジー

「三角関数」はその人間関係や物事との距離感に、更に波長の概念も加わってきますが、三角関数で表現できる波は「位相」と「振幅」と「振動数」といった3つのパラメータで捉えることができるので、複雑怪奇な人間関係を(多少乱暴にですが)分析できるので参考になります。

「人と波長が合う」というフレーズについて真剣に考えたことがあって、これを話し出すとまた長いのですが、その一端はこんな感じ。位相=思想や価値観とその移り変わり、振幅=テンションのMAX値とmin値の差、振動数=感情の浮き沈みの頻度、、、等 「あの人とは波長が合わないな」という時に「位相」「振幅」「振動数」のどれがあっていないのか? というようなことを考えてみると面白いです。

このように考えてみると三角比や三角関数は、人間の視野の広さや人間関係の機微に関わってくるような気がしてきます。ただまあそんな小難しいことを考えなくても、うまく人間関係や自分の目標と付き合っている人が大多数でしょうから、そういう意味ではあんまり意味のないことなのかもしれません。




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