「人生は勝ち負けなのか問題」と「ワールドからの脱却」の話

6月4日にコーヒーのシリーズ最終回を終えてから久しぶりの投稿。あまり書きたいことがない。いや正確に言うと書けることがない。

5月末に緊急事態宣言解除されてから、ようやく世間の日常が戻り出してきた6月。私は相変わらずなどころか、3月初旬から数ヶ月で徐々に失ったいろいろな日常が一向に帰ってこない。元の日常が戻って来ないなら、こちらから新しい日常に進めばいいのだけど、そんなに歩ける元気がないし、行動もしないので、クズのような生活を送っている。

週末も外に出ず、ポケモンのオンライン対戦ばかりやっていた。久しぶりにゲームにはまっているのだが、なかなか順位が上がらない。勝負事に必要なセンスがまるでないことを思い知らされる。たかがゲーム、されどゲーム。とはいえ、ゲームし続けて週末が終わってしまう虚無感の中で、グダグダと思考の逡巡を続けていると、調子の悪い時にたまに考えてしまうあの問いが脳裏によぎった。


「人生は勝ち負けなのか問題」だ。


大半の人は(自分も含めて)「人生は勝ち負けではない」とは言うのだけども、お金持ちであったり、大きなことを成し遂げたり、幸せな家庭を築いていたり、そういった自分とは違う「成功者」をみると、自分が負けた側にいると気づいて、やっぱり「人生は勝ち負けだ」という気持ちになってくる。

そもそも、そういう「成功」は素晴らしいことだし、人生の目標にしたほうが活力ある毎日を過ごせる。しかし、そこに到達することは敗者をつくることと同義でもある。おそらく私から成功者に見えている人も、さらなる成功者を妬んでいるだろうし、その逆もまた然りであるからだ。

全員が相対評価を捨て、絶対評価でモノゴトを考える世の中であれば、全員勝者のハッピーな世界が作れるが、なかなかそれは難しい。(僕が思いつく方法は宗教だけだ)

そんなことを言いながら、自分は何もせず、にこうやってグチグチと文章を書いてる。ますます、負けが込んでくる。こういう思考回路になっている時点で、ネガティブから脱却することはできない。こういう気の落ち込みを私は「ワールドに入る」と呼んでいるが、今は、完全に「ワールドに入ってしまっている」

あぁ、やめだ、やめだ。深呼吸で落ち着く。


「ワールドに入る」というワードを思いついたのは中学生の部活(バドミントン)の時だ。人より運動神経が悪く、勝負事のセンスもないので、同じ練習量では要領も悪く、上達のスピードが遅かった。

試合の時にミスが続いたり、思ったプレイができないとネガティブ思考になっていく。どのコースを攻めても相手に返される気がしてくるし、簡単なプレイでも失敗したらどうしようとさらに甘い返球になる。そうやって悪循環に陥ると、最後には自分やダブルスのパートナーにイライラし出して、試合に集中できなくなって自滅する。

これが「ワールドに入る」という現象だ。これは何もスポーツだけでなく、全ての生活においてこの状況に陥る可能性があると思っている。


ワールドから脱却する方法は非常に難しいが、自分が見つけた脱却方法は一つだけある。「今自分がワールドに入っている」と自覚すること。これで少しだけ冷静になれる。自体はすぐに好転しないが、自覚さえできればもう一息だと思う。

あっ、今がその状況ってことです。

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