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ごはんの話。

毎日、仕事が終わって下の子どもを児童館に迎えに行く。
それからスーパーに寄るということは、かなり、かなり難しい。
なぜなら、子どもは学校と児童館で全てのエネルギーを(もしくは精神力や忍耐力を)使い果たしているからである。
「おやつ食べたい!」
「歩きたくない!」
「お買い物、一個だけね!一個だけならいいよ!」
わがまま怪獣爆誕。

そうなると、毎日鶏肉か豚肉買って焼くしかないですけど?いいのか?
オムライスとかハンバーグはそれじゃぁできないんだぞ。

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そんなわけでスーパーでの買い物は、休みの日に子どもが習い事をしている間に一気に済ませるか、ネットスーパーか、コンビニ。

子どもを連れて帰宅したらまず、数分間、自分の好きなおやつを食べるか酒を飲む時間をとることにしている。疲れている日は、この時点でビールの缶を開け、爆音でへたくそな歌を歌いながらご飯を作りはじめる。
(これに関しては「キッチンドランカー」という名称があるくらいで、賛否両論あるかもしれないが、別に私はキッチンで飲む量では酔わないので、コーラと変わりないと思っている。)

作る気力が無い時は、コンビニで何か主菜を買ってきて、残り物をちょっとずつ消費したり、味噌汁を添えたり、得意のトマトを切っただけのやつを出したりする。
その間も、「うるさい、テレビが聞こえない」という苦情を受けたり、何を明日まで持っていくだの、宿題のここが分からないだのといったサブクエストが乱発する。

こんな調子で、毎日ご飯を作るというのは、それはそれはモンハンで言ったら極ベヒーモス級の難事なのである。(そういうゲームがあるんです)
正直、面倒くさい日も多々あるし(そういう時は迷わずコンビニ飯)、時間も気力も夜になればほとんど残っていないお年頃である。それでも、ご飯を作っているのには、それが私にできる唯一のことだから。

以前、料理研究家の枝元なほみさんが、「夜のパン屋さん」というロスパンを循環させるプロジェクトを始めた際に受けていたインタビューの記事を、ネットニュースで目にした。(引用元:FRIDAY DIGITAL)
その中に、なるほどそういうことなのか、と思うような一節があった。

「『お腹を空かせた赤ちゃん』のイメージが、ずっとここにあるの。料理の仕事をして生きてきたわたしの、今生(こんじょう)の役割は『誰もお腹を空かせることのないようにする』ことなんじゃないかと思う。この仕事で食べてきたわたしの使命みたいなこと。」


あー
たぶん私、前世で飢えて死んだか何かしたんだな。それで、そういう使命を持ってきちゃったんだ。

私は洗濯は溜めこむし、掃除はズボラだし机の上は書類と本と駅前でもらったポケットティッシュでぐっちゃぐちゃである。
決して家事全般が得意とか喜びを感じるタイプではない(そもそも身の回りではそんな人見たことないけど…)
でも、ご飯だけはちゃんと食べてもらいたい。
食べたいものを作ってあげたい。
ご飯が、一日の中の喜びのひとつであってほしい。
とは思う。

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少し話は変わるが、子どもに対して親がしてあげられることってそんなに多くはないと、私は思っている。
世にはびこる子育て本をたまに読むと、本当に子育てに対してここまで考え、向き合うことができること、一生懸命取り組もうとする姿勢ってすごいなぁと思う。し、もろに影響を受けて、突然己のしてきたことを反省しはじめたり、「私ももっとちゃんと子どもと向き合わなきゃ」と焦った気持ちになったりもする。

しかし一方で、仮に自分の子どもが素敵に育っていったとして(そもそも素敵ってなんだ?という問いもあるが、それはここでは置いておこう)、それっておそらくその子自身の持つ力とか、出会った人の力が大きいんだろうなぁも思う。

前に、私が影で師匠と呼んでいる、人生においても仕事においても大先輩の方から、「子どもってね、だいたい親の思ったようには育たないのよ~(*^^*)」と言われたことがある。その時私は、子どもに対してもっと厳しくした方が良いのか、甘やかした方がいいのかみたいなことで悩んでいたんだと思うが、師匠にそう言われて「なぁんだ」と一気に肩の荷が下りたのを覚えている。
何したっていい、ということではないし、根底に養育者に多少の愛情があってそれが伝わっていることが前提だろうとは思う。(それが実の親であるかどうかとかは関係ない)

ただ、自分の意見なんて数ある体験の中のほんの一部で、後は子どもが選び取っていくんだな、と思ったら少し楽じゃない?この時親がああしたから子どもがこうなりました!っていうのは、美談でもあるけど、それから外れちゃったとき(できなかったとき)に、子どもにとっても、自分にとっても、ちょっと怖い感じがする。

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まぁそうはいっても私は、まごうことなきチーム過保護の一員。(気をつけようと思ってはいるが、気づくと前のめりになってること多々。)最低限、自分で守りたいルールというのはある。


その中の一つが、飢えさせないこと。(手作りかどうかは問題ではない。問題なのは腹が減っているかどうかだ。)
子どもにとって、何か辛いことが起こったときに帰れる場所であること。(いやまぁ、帰りたくなかったらそれはそれでいいんだけど。他に行き場があったらいいねと思う。)


ほら、だって、人間、疲れたときにはおいしいもの食べたくなるって言う人も多いでしょ?どっかのドラマで誰かが「泣きながらごはんを食べたことのある人は、生きていけます」って言ってたし。

だから、人生に疲れたときに、あー、家のカレー食べたいなぁとか。夜中に辛くなったら、とりあえずホットカフェオレ飲もう、とか。何かあったときにご飯が心の支えのひとつになってくれたらいいなと思う。

ま、週に一度はマクドナルドで持ち帰り買ってるんですけどね。
将来辛いことがあった時、何より先に「マック食べよ…(涙目)」ってなったらやだなw

いや、でも、それもまた、それでいい。
それがその子の選ぶ人生だもの。

どむを。

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