見出し画像

ひとの夢を笑うな


ザ・天然ヤンキーのゆめ


いつか店を出したい。


夜風も春めいてきた昨日、友人夫婦と話している中で「余命があと半年だったら何をするか」という話題になった。
この歳になると、もうそういうことをだんだんに、真剣に考え始めるものなのである。

私は、ずっと思い描いていた、店を建てるという夢を半年で大急ぎで実現すると答えた。
そしたら、めっちゃウケた。
なんで?

ここ最近、ゲーム実況をやっている中で、よく【天然】と称されるようになったが、あ、これもその一環だな、と気づくくらいには脳みそは死んでいない。
およそ普通の人は口に出さないであろうことを口に出す。
およそ普通の人は現実的に考えたら無理であろうことをやろうとして失敗する。
人の話を聞いてない、周りを見ていない(それは…マジの短所ですね)

半年でできるわけないじゃん。
その店が残ればいいけど、潰れたら悲しくない?
死んだあと誰がその店継ぐの?

現実的に考えたら、できない理由なんてたくさん出てくる。
しかし何と言っても私はとりあえずやってみてから考えるタイプである。
まぁ、とはいえできればあと半年、という時点ではなくもっと早めに夢を実現させる必要があるなぁ。


理想の”ハコ”

画像1

私は料理に関して専門的な勉強をしたこともなければ、お世辞にも料理がうまいとか手際が良いわけではない。毎日毎日料理のことを考えているとか、料理が好きでたまらない!という感覚があるわけでもない。(三食の献立のことでは常に頭を悩ませているが…)
今の仕事も、あまり食とは関係のない仕事である。

でも、ありきたりだけれど美味しいごはんと、コーヒーを出す小さいお店を出したいとずっと思っている。
庭があって、私の好きな木とツタが生えていて、店構えは木(もうちょっとかっこいい表現無いでしょうか)。
床も木。
床が木であることだけは譲れない。
近代生活に染まった我々が木の上を歩くことはそうそうないが、木をヒールで叩いたときのあの深い、まるい音には、えも言われぬ感覚…そう、なんかエモい感覚がある。
(またつまらぬダジャレを言ってしまった)
普段しっかりしないといけないと思っている自分を、ふと緩ませる響きだ。
あぁ~最高。まじで。
そんなわけで床にはこだわりたい。

外にもイスを置いて。
冬は昔ながらのだるまストーブの上にヤカンを置く。
若い世代の方はもしかしたらご存知ないかと思うと自分の老いを感じるが、昔のストーブは、今のファンヒーターと違って、触ると飛び上がるくらい、外側までアッツアツになる。
で、よく部屋の湿度を保つために?そのあっついストーブの上にヤカンを置いていたんですよ。
コンロと違って緩やかに加温されるので、ヤカンの口からシューって音がかすかに断続的にするのだ。
最高。

いや、燃えるね。店が燃えそう。
木の家にだるまストーブ、防火の何かにひっかかりそう。

とまぁ、ハコの話だけで終わってしまいそうだが、こうしてつらつらと書いていて改めて私は、食べ物を味わってほしいというよりも、居場所を作りたいんだなと思う。


私の中では、その居場所を構成するだいじな要素のひとつが、「たべる」ということなのである。(たぶん)


居場所としての食

画像2

私たちの多くは日常にまみれいていて、イライラして、悲しくなって、誰かと喧嘩して…でもたまにとってもいいこともある。(疲れているとそれに気づかないことすらあるが…)
そういう日常からふと逃れたり、気を緩めたりできる場所が欲しい。
そして、それってご飯をお腹に入れるときじゃないかしらと思うのである。

うちの子どもは、一人はもうだいぶ大きくなってしまって、横顔を見るともう一人前のような顔をしている時がある。
人は、一人前になってくると、かえって誰かに相談したり、話を聞いてもらったり簡単にはできなくなるものだろうか。学校であった出来事を息をきらして報告していたのはもう遠い昔のことである。(ゲームの話だけなら息をきらして報告してくるけど…)
プライドや恥ずかしさ、言葉にする難しさもあって、簡単には相談ごとができない。
でも、なんとなく元気がなさそうだったり、イライラしているなーという時は、こちらから見ていると長い付き合いなので分かるもんである。


そういう時に、私はよくうまいもんを食いに行こうと外に連れ出す。
外でごはんを食べながら(私が)酒を飲んでいると、不思議と「いやー、最近〇〇がこんな感じで困っててさぁ」などとぽつぽつ語りだしてくれるので、私はただ酒を飲みながらそれをふんふん聞いては、たまに野球中継のヤジのように合いの手を入れたりしている。

なぜ外食がなんとなく功を奏すのかというと、一つは、環境が変わる効果があると思う。
家にいる時は密室の中でのただの親子だが、一歩外に出ると、他人の目があることもあり、なんとなく、少し距離のある大人同士のような感覚に変化するんじゃないだろうか。

あとは、私が一方的にお主の話を聞いてやろうじゃないかという徹子の部屋スタイルじゃなく、更に言えば「オマエ、オイシイモノ、クエ」と与える側に鎮座するのではなく、やはり二人が必死においしいご飯を食べているという対等な関係がいいんだと思う。


食べることは、にんげんにとって、とても原始的な欲求だ。
食べている時、人は少し退行するんじゃないかとも思っている。
もぐもぐ。
ごくごく。
むしゃむしゃ。
老若男女、美男美女であっても食の前には平等なのである(極論)
そんなこともあって、なんとなく話がしやすい雰囲気に全体が変わっていくんじゃないかと思う。まぁこの例は私が勝手に考えている我が家の話なので、もちろんみんなにこれが通用するわけではないけれど。
でも、少なくとも私は、飲み食いする場はそういう何かを与える、いや、支える居場所みたいな働きがあると思っている。

(はやくみんなで飲み食いできるようになるといいねぇ)

まぁそんなごはんが美味しかったらもう最高である。
ごはんに関しては、別段『これを名物料理にしたい!』という考えはない。
ただ、普通のものを普通においしく。


例えば、最近私がふらっと寄ったお店で、お通しとして菜の花の煮浸しが出された。
その、菜の花の火の通り加減、味の濃さ、油揚げとのバランス、どれをとっても完璧においしくて、私は度肝を抜かれた。
あまり飲食店で気軽に店員さんに声をかけるタイプではないが、思わずカウンター越しにでっけぇ声で「これ、おいしいです!!!」と言ってしまった。
別に完璧じゃなくてもいいが、自分がやるとしたらそういう、普通のものを普通においしく食べられるお店がいいなぁ。


つまりこの春やり始めたいことは


例によってまとまりの無い話になってしまったが、この春は、そんな居場所づくりに向けて、がんばって少しずつお金を貯めよう。
大層な夢があっても元手が全く無いとなれば、人に笑われてもしゃーなしですからね。
いやー、誰かアタリの宝くじ、くれませんかね?

え、youtubeはどうすんのって?
もちろん収益化を目指して今後もやっていこうと思っています。
得た収益で店建てたら名前【ようつべ庵】とかにしなきゃいけないな。
それもまた面白いね。


みなさんの夢は、なんですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?