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20011007 心霊写真

 幼少の頃、心霊写真$${^{*1}}$$が怖くて仕方がなかった。と同時に見たくてしかたがなかった。当時、心霊写真と言えば中岡俊哉$${^{*2}}$$で、中岡俊哉と言えば心霊写真、と言うぐらいに心霊写真業界の第一人者であった。糸井重里$${^{*3}}$$が「中岡俊哉ならミッキーマウス$${^{*4}}$$のジグソーパズルを自殺現場にひそむ地縛霊の写真に組み替えてしまえる」と評するぐらい、何の変哲のないスナップ写真から霊の姿を探し出すことを得意としていた。自分も色々訓練して街路樹や森が写った写真から人の顔を抽出する技を会得し、友人を怖がらせたりしていた。

 心霊写真の定義にもよるが、写真を撮影した時点では死んでいてこの世にいないはずの人の顔が写っている、というのが本来の心霊写真であろう。「死んでこの世にいないはず」を押し広げて「あるはずのものが写っていない、ないものが写っている」というのも最近は心霊写真に入れているようである。例えば人の足や手が写るべきなのに写っていないとか、足だけが写っているとか、撮影時には見えなかった筈の光のすじが写っているとか、こういうものも心霊写真の仲間になっている。

 写真は漢字からすれば「真を写す$${^{*5}}$$」という意味なのでどうしても写っているものが本当の姿であると考えてしまう。しかし写真に写ると言うことと実際に見える、存在するということ間には大きな隔たりあることを忘れてはいけない。写真が写ると言うことはフィルム上の薬剤が光に反応して変化$${^{*6}}$$することである。赤外線や紫外線など光の中には人間には見えないけどフィルムの薬剤には反応する光もある。

 見えるはずのものが写らない、ないはずのものが写るというのは、「はず」であって実際は記憶が曖昧なだけであろう。足が写っていないというのは撮影の瞬間に足を掻くために上げたのかもしれない。そんな些細なことは普通の人はいちいち憶えていないので、出来上がった写真を見て「足が一本ない」と騒いでしまう。

 そもそも心霊写真で亡くなった知人の顔が写っている、というのを見たことがない。顔が写っていても知らない人ばかりである。これはどう言うことであろう。心霊写真はレンズの影響による周囲の写り込み、カメラの動作異常による二重露光などが原因だからではないだろうか。もしくは作ろうとして作ったからであろう。

*1 「心霊写真に取り憑かれた人びと」
*2 中岡俊哉ホームページ
*3 ほぼ日刊イトイ新聞
*4 ミッキーマウス90周年|ミッキー&フレンズ|ディズニー公式
*5 20010821 写真の意味
*6 カラー写真の原理は?

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