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20010825 もやい

 ある言葉が方言かどうかはその言葉に漢字が当てられるかどうかで判断できる場合がある。辞書を引けば簡単に判るのだが、どんな漢字で書かれるのかを考えると引かなくても判ることもある。方言はその地方だけで通じる言葉なので書き言葉として定着するのはなかなか難しい。文書はその地方にとどまらない場合が多いので、出来るだけ普遍的な表記になるになる。だから方言が書き言葉として、更に漢字を用いて表現される機会は余りないと思われる。

 元々は全国で使われる標準的な言葉であっても古い言葉であるため、日常では使われなくなってしまっているものがある。ところがそれが日常的にある地方で使われていると、その言葉は「方言」と呼ばれたりするかも知れない。

 沢山という意味の「ぎょうさん」は辞書にも載っているし「仰山」と漢字で書くので全国で使われる言葉の筈だが、テレビジョンやラジオでは余り出てこない表現なので方言と思ってしまう。

 名古屋弁には久しぶりの意味で「やっとかめ」と言う言葉がある。この言葉は絶滅しかかっており、ごく普通に、私が耳にしたのはここ数年ない。恐らく名古屋に住む若年層はこの言葉を聞いたことがないだろうし、意味も知らないかも知れない。この「やっとかめ$${^{*1}}$$」は「八十日目」と書くと言われている。たまにこういう例外があるので気を付けなければならない。関西弁の「大きに」もそうである。

 最近、同じような例外を見つけた。名古屋弁で物などを共同で使ったり、分配することを「もうやい」という。もうやいが少し変化して「もうやいっこ」ともいう。「ちゃんともうやいで使(つか)おみゃあ」と言えば「きちんと共同で使いましょう」という意味になる。「これ、あぁますで、もうやっこして食べやぁ」は「これを上げますから、上手に分けて食べなさい」である。

 この「もうやい」は純然たる名古屋弁だと思っていたが、「催合(もやい)」が語源であることに気付いた。「催合$${^{*2}}$$」とは共同生産とか共有の意味である。

 この名古屋弁の「もうやい」も死にかけている言葉である。

*1 いりゃーせ名古屋-名古屋弁セミナー-
*2 もやいの意味や定義 Weblio辞書

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