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20060506 花札(4)

 花札の絵柄$${^{*1}}$$には不思議な絵柄$${^{*2}}$$が色々ある。

 十一月の札$${^{*3}}$$に何故、尾張出身$${^{*4}}$$の小野道風$${^{*5}}$$が登場するのか。

 小野道風が花札に登場したのは明治時代以降$${^{*6}}$$らしい。それまでは誰が描かれていたのか。仮名手本忠臣蔵$${^{*7}}$$の五段目に登場する定九郎$${^{*8}}$$らしい。苗字は「$${^{*9}}$$」という。地方札では小野道風ではなくこの定九郎らしき人物が傘をすぼめて雨の中を駈け抜けていく姿$${^{*10}}$$が描かれているものがある。それにしても何故これだけで仮名手本忠臣蔵の定九郎に特定$${^{*11}}$$できてしまうのか。他の絵の登場人物$${^{*12}}$$と考えることはできないのだろうか。絵柄が考えられた時代では人形浄瑠璃や歌舞伎が最も人々に馴染み深かったとも言えるので、それの登場人物だと考えるのが普通かも知れない。

 それが小野道風$${^{*13}}$$に入れ替わった。小野道風と定九郎とでは全く接点がない。もしかしたら全く別の発想から独立に成立した絵柄ではないのか。どういう事情か判らないが、とにかく明治維新後に誰かが新しい図案を考えた。

 柳と雨ならば蛙が相応しい。柳に飛びつく蛙と来れば小野道風$${^{*14}}$$、となったかも知れない。逆に小野道風になる前は定九郎だったと言う説は、「小野」と「斧」とを掛けて遡ってこじつけられたと考えられる。雨の中を傘をすぼめて駆け抜ける人物$${^{*15}}$$は誰でもよかったのではないか。

*1 20060430 花札(3)
*2 博物館-花札-
*3 大阪屋製菓
*4 春日井市ホームページ 施設案内 小野道風
*5 20020828 高橋泥舟
*6 ギャラリー 花札 花札12ケ月
*7 仮名手本忠臣蔵 | 歌舞伎の演目 | ユネスコ無形文化遺産 歌舞伎への誘い
*8 假名手本忠臣蔵・五段目 文化遺産オンライン
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*10 (二)「武蔵野」の模写、越後花札 115-09-HanaCarta-ForExport-PM.Ordered.jpg
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*13 なぜ書のまちなの
*14 春日井歴史散策 その24 小野道風公の像
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