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男を感じても未来はない

夜中にそっと口づけをした。唇を離すと唾液が糸のように延びた。カーテンの隙間から差し込む街灯の光に照らされてキラキラしている。深い息をし、目を覚まさない様子を確認した彼女は、彼の親指にスマートフォンをあてがった。

メッセージの履歴を探ったが、妻から送られてくる家族の写真ばかりだった。鞄に入っていたもう一つのスマホを取り出し指紋認証をした。こちらも特に何もなく、あるのは彼女とのやり取りだけだった。週に一度は足跡を消しておくよう約束したのに。膨らんだお腹を叩いた。

四十を過ぎて彼の身体はだらしなくなってきた。そんなさえない男なのに、他に女の影があるのではないかと気になってしまう。男女の関係になって3年経った今でもさらに愛おしくて仕方がない。

社会人になったのをきっかけに、彼女は親元から離れた。昼間は企業の事務に勤め、夜は副業で水商売を始めた。人と話すのが得意だったため、副業のほうが盛んになり、本業を1カ月で辞めた。煌びやかなラウンジで様々な人と出会った。優しい客とスタッフの中で生き生きと仕事を勤めた。

「緊急事態宣言」が発出されると完全に客足が途絶えた。アルコールの提供もなく、5人以下の来店で、8時に帰るサラリーマンなどどこにもいなかった。それでもあの手この手と頑張ったが、人が入ることはなかった。オーナーと連絡が取れなくなり出勤することもなくなって彼女の仕事は宙に浮いた。

コロナが終わるまで、一旦は事務職に戻って生活を続けることにした。そんなとき、彼女の元に常連客の男から連絡があった。お店に行くこともないし、みんなでワイワイすることもできないし、何も楽しいこともないから二人でドライブに行こうと誘われた。男は既婚者だったが、客との同伴やアフターだと思えば気兼ねなく会えた。家の中で鬱屈としていた彼女には十二分な誘いだった。

水商売に慣れたからか、もともとサッパリしている性格だからか、彼女は男性に「男を感じる」ことはなかった。そこに囚われていたら出会うみんなに惚れてしまう。しかし、ラウンジ以外で久しぶりに会う男性の丁寧な運転の姿を見て、彼女の女心が動いた。キスぐらいならしてもいいかもしれないと思ってしまった。

その後何度もドライブに出かけた。車内でのハグは当たり前、キスは濃厚なものに変わり、ベッドにもつれ込む前に果てることも。今まで経験したことにない快感に襲われ彼女は痺れ続けた。彼の単身赴任先のマンションで食事をすることさえも惜しんで交わりあった。帰りに送ってもらう際、お別れのキスでまた燃え上がり、駅近くのホテルになだれ込んで燃え殻になるまで擦り合った。

1年ごとに赴任先は変わっていたが、会社での彼のポジションに代わりがいないため、単身赴任が続いた。週末に彼が家族の元に帰らない限りはほとんど彼女と同棲をしているようだった。

一度奥さんに不倫がバレた。彼のスマホにいきなり電話がかかってきた。「女といることはわかっている、代わって」そう妻に問い詰められて困っている彼の様子を見て、すぐに彼女は電話に出た。水商売の女だから同伴はするけど性的な関係はないと突っぱねた。その後妻からの連絡はなくなった。

うだるような暑い日に彼女と会った。お店は涼しかったが、後から入ってきた彼女は火照った顔をしていた。それでもすぐに汗は引き整った顔立ちに変わっていた。

小柄なはずなのに大きく見え、若さの中に落ち着きを感じさせた。そんな雰囲気を醸し出しているのは、接客業の経験のなせる技なのかもしれない。相手を褒めるのがうまく、男の人が喜ぶポイントを知っているようだった。

今までは彼がいるので新しい出会いが億劫になっていた。けれども、この夏は地元で男性の友人と会う予定をたてた。以前から何度も誘われていたが、付き合う気はないと断っていた。それでも会いたいと言われたので会うそうだ。他にも夜のお仕事をしていたときに知り合った人からデートに誘われているという。

最近彼と同じステージに立ってみたいと思うようになった。彼と結婚する気はない。けれどもこの関係は続けていきたい。他の男性と結婚して家庭を築いたうえで、彼との付き合いを続けたい。もし夫の方が好きになるならば御の字かもしれない。

複雑な家庭環境の中で育ったことを彼女から聞いた。そんな状況下で彼女には無意識についた人付き合いのスキルがある気がした。不倫も、人付き合い。全ての人との関係をうまくこなしていける気概を真夏に微笑む彼女から感じた。

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