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いい年の取り方をしたい

小さい時は将来の夢は何かとよく聞かれた。

小学生の頃は「プロ野球選手になること」と言っても温かく見守ってくれたが、高校生にもなってプロ野球選手と言ったら真面目に考えろと怒られた。

では何と答えたらいいのだろうか。そもそも長期的な目標に意味があるのか。

短期的目標はよく立てていた。

何々大学に合格するとか、何かの大会で優勝するなど。。短期的な目標を聞かれてこう答えたら、大概そうか頑張れよと言ってもらえる。

では、長期的な目標や夢はどのように立てらいいのか


コロナ禍になってから、長期的な目標を立てることに疑問を持つようになった。予想もしていなかったパンデミック、自然災害などによって、長期的な目標、計画は簡単に崩れていく。

例えば、コロナ前に「来年は世界中の観光地を巡るために今年はお金を溜めまくるんだ」という目標を立てていた人はどうだろう。2019年に来年はパンデミックが起こって世の中が大混乱に陥るなんて誰が予想できただろうか。

時代の移り変わりも激しいため、10年後の世界で何が求められているのかを見通すのも難しい。

だから、長期的な夢や目標にこだわる必要はないし、夢と現実のギャップに苦しむ必要もない。未来のことよりも今やるべきことに集中する方が大切である。

そうは言っても、

何かしらの目標がないと心許ない私たち(厄介ですね😅)なので何かしら目標は持った方がいいと思うんですよ。

そんな私が出した長期的な目標の結論は

いい年の取り方をしたい


私が昔、東急ハンズでアルバイトをしていた時、そこで働いている50代のおばさんはとても魅力的な人でした。優しげな表情と声で常に笑顔を絶やしていなかった。接客をされたお客様もさぞ気分の良い買い物になったと思う。

この人の魅力は生まれながらに身についていたものなのか。失礼な話だが、その人の顔立ちは決して美人というわけではなかった。だけど、常に身だしなみに気を使い、笑顔を絶やさない接客を続けていて、人柄が顔に現れていた。

彼女の柔らかな表情は日々の仕事での笑顔を絶やさない接客の賜物だと思う。彼女の仕事への姿勢が間違いなく彼女の表情を良くしていったと思われる。

なぜハンズのおばさんに魅力を感じたのかもう少し考えてみた。そのおばさんはどう見ても50代だったし30代、40代には見えなかった。年齢を聞いたわけではないので正確には分からないが、おそらく50代だと思う。年相応なのだ。

この年相応というのに魅力を感じたのかもしれない。若作りというものを一切していない潔さというかなんというか。20代には20代の魅力が50代には50代の魅力があるということなのかもしれない。

我々は歳をとると「若い頃は良かった。あの頃に戻りたい」年をとることへの恐怖、若さへの異常なまでの執着があるように思う。考えてみると人間20代にピークが来るものが多い気がする。体力、記憶力、ホルモンの分泌量などなど他にあげればまだありそう。

歳を取れば取るほど、これらはどんどん衰えていく。美魔女と呼ばれる人たちも、かつての若い時が忘れられずにピークに向かってしがみつこうとする。

女性に限った話ではない。かつてのイケメン俳優も毎年必ず1年ずつ年をとる。40,50代になっても恋愛ドラマの主人公みたいな俳優もいる。一方で年相応の魅力を備えた渋い俳優もいる。私は後者の方が自然だし、魅力的に感じる。

もう1人

短期アルバイトで働いたクリーニング工場でも忘れられない人に会った。その職場は社内いじめを平然と行っていた。

ある若い女性社員を老婆がいじめていたのだ。その老婆は「よくあるアニメの悪役の顔ってこの人がモデルだったんだ」という顔をしていた。絡まれたら嫌だったので、直視することはできなかった。

たった1日会っただけの顔を10年以上も忘れられないというところから衝撃の大きさを理解してもらいたい。

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若いうちの顔は親からもらった遺伝の影響が大きい。これは先天的なものであるから仕方がない。私だってもう少し背が高かったら、イケメンだったらと思ったことは何回もある。

しかし、年を取れば取るほど人生をどう生きたかが顔に現れると思う。いつもイライラしている人は眉間にシワが寄っていく。いつもニコニコしている人は笑い皺や笑窪ができる。暴飲暴食を繰り返し運動もせず、いつも睡眠不足の人と健康な生活を送る人は時間が経つほど差が出てくるのは明らかだ。

歳を取ってからは自分の生き方次第で良い方向に向かわせることはできる。あのハンズのおばさんのように。


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最初の話に戻すと、長期的な目標や夢ってこれくらい抽象的なものでいいんじゃないかと思う。

抽象的な夢や目標というとそんなフワフワしたのじゃダメだと思うかもしれません。しかし、具体的な目標を立てたとしてもコロナみたいな予期せぬ出来事で長期的な計画は簡単に台無しになってしまう。

具体的すぎる目標は逃げ場がなくなってしまう。抽象的な目標で逃げ場を作りつつ、自分の今の行動はいい年の取り方に沿っているのかを考えればいい。

こういう時の抽象的って都合がいいんですよね。逃げ場を作りつつ、でも本質というか軸は外さないというか。

長期的な目標が見つからないという人は「いい年の取り方をしたい」を目標にしてみたらどうでしょうか。

この目標のいいところは遅すぎることはないというところ。

仮にもし今50代であっても、今からの10年、20年で肉体的な衰えはあるかもしれないが、自分の生き方によって表情を今よりも良くしていくことはできるだろう。


じゃあ、またいつか会いましょう!

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